「和(なれあい)をもって尊し」となさず

4月18日に総アクセス件数が300万回に達した。200万回が201734日であったので、1年間少しの間に100万、1日平均2500回のアクセスがあったことになる。医療の進歩と私の愚痴を綴っただけなのに、多くの方に目を通していただき感謝の気持ちで一杯だ。この「シカゴ便り」も、あと2ヶ月弱で終了となるのは残念だが、別の形で情報発信できればと考えている。

日本に帰国する決心をしたものの、私は、聖徳太子の「和をもって尊しとなす」文化とは相容れない人生を送ってきたため、「多くの敵」作ってきた。味方も少しくらいはいるかもしれないが、損な生き方をしてきたと思う。しかし、後悔はしていない。いや、後悔しても過去は変わらないので、振り返らないことにしている。日本人社会では、「調和を乱す」ことが悪いことのように受け止められがちだが、利権を守るための調和(談合)が若い人たちのやる気を削いできた現実を直視しなければ、日本には未来はないと思っている。私の部下や知人(最早、若者と呼べない人が多いが)と話をしていても、年寄りの愚痴のような話ばかりで、希望の持てる未来に心を躍らせるような話は一向に聞かなくなった。彼ら、彼女らは、日々、診療に、書類作成に、委員会に、評価資料作成に時間を取られ、「もう疲れた」といった話題が多いのだ。そして、「患者さんのために」という言葉も、残念ながら、あまり聞かなくなった。

今の私の役割は、日本の若者を元気にすることだ。もちろん、ゴールは、それらを通して、がん研究・医療を改革することだ。これまでの仕来り・風習に逆らって、それらを変えるのは大変だという意味で、「流れに棹さす」のは難しいと書こうとしたが、嫌な予感がして意味を調べ直したところ、文化庁のウェブに“「流れに棹さす」は,「流れに逆らう,流れの勢いを止めようとする。」という意味ではありません。「流れに乗って,勢いをつける。」という逆の意味です”と書かれていた。若者や患者さんと一緒になって、「流れに棹さして」頑張りたいと思う。

こんな気持ちをさらに燃やしたのは、先日、シカゴを訪問してきた知人を迎えに行った時だ。経費節減のために、アパートに泊まっていた。その住所は、なんとなく聞き覚えがあったような気がしていたが、なんと「MELK阻害剤の治験を受けようとして、シカゴ大学を受診された」親子が滞在されていたアパートだった。このブログの“「希望」が「絶望」に変わった瞬間”で紹介した乳がん患者さんとお嬢さんが滞在していたところだった。回転ドアをくぐって中に入った時、あの時の記憶が瞬時に脳裏に甦った。

「希望」が「絶望」に変わった瞬間

あの時から4年が経っている。この4年間を振り返って、がん治療に少しでも貢献できてきたのかを考えると、胸が苦しくなってくる。ある医師が「臨床を長くやっていたら、一人一人にこだわっていては、日々暮らせませんよ」と嘯いていたことがあるが、私は、逆に、医師になるって、そんなに軽いものなのかと問いかけたい。

「若い時から使命感がなかったのか」、「組織に飲み込まれているうちに使命感をなくしたのか」はわからないが、医師としての使命感を喪失した人が多くなってきたと感じている。シカゴの6年間の生活で、約20カ国の若手研究者と接したが、他のアジア諸国やアフリカから来ていた人たちと比較すると、日本から来ていた若者は「諦めが先にありき」のような気がしてならない。

研究費を獲得することが目的ではなく、本気で医療を変革したいと若者を支援する、そんな体制を作る必要があるのではなかろうか?「和(なれあい)をもって尊しとなす」など、もう、ごめんだ。


編集部より:この記事は、シカゴ大学医学部内科教授・外科教授、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴ便り」2018年5月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。