憲法記念日と立憲民主党の憲政への公然たる冒涜

八幡 和郎

9条改正反対派の集会で演説する枝野氏(立憲民主党サイトより:編集部)

“偽リベラル”勢力が都内で開いた集会で、立憲民主党の枝野代表は、「数の力だけで押し切ってはいけないことを決めているのが憲法だ。憲法をないがしろにするゆがんだ権力を1日も早くまっとうなものに変えていくため、多くの市民や他の政党と力を合わせ、先頭に立って頑張っていく」と述べたそうだが、これは、「選挙の結果として国民の意思が示されても、負けた方が横になったら国民を無視してよいと憲法は決めてるんだ。民主的な選挙も国会による立法権や憲法改正の議論や発議も断固阻止するというのが立憲民主党であって、国民の意思を尊重する政府は俺たちから見たら、ゆがんだ権力であって、国民が選んだとしてもまっとうでないから、選挙の結果は無視するように、少しだけの市民や群小政党と力を合わせ、先頭に立って頑張って国民を蹴散らす」ということだ。

民主主義は多数決が基本である。ただ、議論をして、そこで野党がもっともだということになったら、次の選挙で負けるのが怖いから、強行しないとか、修正するとかいうことに追い込めばいい。また、選挙に勝って政権取ったら法律改正を元に戻せばいい。しかし、馬鹿な野党しかないので、政権交代の可能性がないので、与党が動じないからといって、政府与党になにもさせないのが正義ではない。

憲法改正を阻止するのは国民投票で正々堂々と勝負すればよろしい。憲法に違反する法律などは最高裁だけが排除できる。そのシステムでは不十分だというなら、それは日本国憲法の欠陥なのだから、改正を提案したらどうか。

この点は維新が、「教育無償化、統治機構改革、憲法裁判所設置の改正案を提示しており、わが国の課題解決の切り札になる。国民主権を掲げる憲法が国民投票を経ていないのは大いなる矛盾で、国民投票を実施し、真に国民の定めた憲法にする」として正面から取り組んでいるのは尊敬に値するし、自民党が消極的なのはおかしい。

公明党が「憲法も法規範である以上新しい時代に対応した改正があってもしかるべきで、現憲法を維持した上で、必要な規定を付け加える『加憲』という方法を主張している。衆参両院の憲法審査会で議論を深め、政党間で幅広い合意を得ながら、国民理解の成熟をともなっていくことが重要だ」というのはほぼ私と同意見だが、ただ、国民投票で圧倒的な支持を得なくてはいけないようなニュアンスがあるとすれば、おかしい。発議は両院の三分の二、国民投票は一票でも賛成が多ければいいというのが憲法の規定だ。いうとすれば、「確実に過半数をとれるという状況でなければ発議には慎重であるべきだ」というべきではないのか。

また、このところ、皇室の政治利用が目立ち、昭和天皇が良い憲法だといわれたとか、今上陛下も同様だとから憲法改正に反対という人がいるがこれはとんでもないことだ。昭和天皇の意見は、憲法改正無効論に対しては、それなりの意味はある。昭和天皇が改正を受け入れられた以上は無効というなら陛下の責任問題が生じる。

しかし、昭和天皇がいい憲法だと仰ったのは、天皇の意向にかかわらず国民の意思で改正できるという憲法であり、陛下の意見で改正するとかしないとかが左右されるべきだというのは、反日本国憲法の立場だと思う。

「立憲民主党」「朝日新聞」という名の偽リベラル
八幡 和郎
ワニブックス
2018-02-26