野党は「18連休」を終えて、やっと衆議院本会議に出てきた。麻生財務相の辞任を条件にして審議拒否を続けていたが、世論の批判を浴びて復帰せざるをえなくなった。1年半近くスキャンダルばかり追及して政策論争のない国会は、55年体制より劣化している。
こうなった原因は(よくも悪くも)国対政治が機能しなくなったことだ。昔から審議拒否はあったが、与党が野党に「国会対策費」を渡して3日目には出てくるといった取引ができた。しかし今のように与野党の勢力に差がつくと「妥協するな」という自民党内の声が強くなる。今回のように単独で審議再開すればいいのだ。
野党からみると、法案が国会に出たときは勝負がついているので、審議拒否で廃案に追い込む「日程闘争」しか武器がない。この根底には、国会に提出される法案のほとんどが内閣提出法案(閣法)で、それまでに与党の事前審査をすませている日本独特の事情がある。これは帝国議会から始まった慣例で、大政翼賛会で制度化されたものだ。
しかし新憲法41条では「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めた。これはGHQが合衆国憲法にならったもので、アメリカでは連邦政府が法案を提出することができない。ところが日本では帝国議会の慣例が踏襲されたので、国会の「立法」は単なる法案の承認になり、内閣が立法機関になっている。
このため意思決定が「官僚機構→族議員→政調会→内閣→国会」と多重化し、国会が空洞化した。この状況を改善する方法として、二つの方向が考えられる。一つは閣法をルール化し、政調会や事前審査を廃止することだ。これは民主党政権がやったが、かえって小沢幹事長に権限が集中して失敗した。自民党では、族議員が大反発するだろう。
もう一つは、憲法の原則を生かして議員立法を増やすことだ。そもそも議員立法という言葉がおかしい。憲法では議員立法こそ原則で閣法は例外なので、その原則に立ち返るのだ。今でも議員立法はあるが、死刑廃止など個人の信条にかかわる特殊な法案に限られている。これを増やしてはどうだろうか。
もちろん閣法を廃止することはできない。重要法案を立案する権限は、各省庁が離さないだろう。アメリカでも実際に法案を書くのは議会事務局の官僚だから、議員立法にしても実態はそう変わらないかもしれないが、立法過程が可視化され、議員個人の意見がはっきりする。
族議員を中心とする官僚の根回しのやり方も変わり、政調会ですべて仕切ることもむずかしくなるだろう。与党以外の議員が事前の意思決定に参加するチャンスも増えるので、野党は「憲法違反の閣法はやめろ」と主張してはどうだろうか。