産経新聞によると、5月18日に開かれた福島第一原発の廃炉検討小委員会で、トリチウム水の処理について「国の方針に従う」という東電に対して、委員が「主体性がない」と批判したという。「放出しないという[国の]決定がなされた場合、東電はどうするつもりなのか」と問い詰めたのはもっともだが、廃炉の主体は東電なのだろうか。
膠着状態が続いている原因は、規制委員会にもある。田中俊一前委員長は「薄めて流すしかない」という方針をかねてから表明しており、これについて東電の川村会長が昨年7月に「大変助かる。委員長と同じ意見だ」と語ったと共同通信が伝えたことに田中委員長が激怒し、「私の名前を使って言うのは、はらわたが煮えくり返る」などと批判した。
このときも田中氏は「東電の主体性が見えない」とか「県民と向き合っていない」と批判し、「『経産省が決めない』とか『国が決めたのに従う』とか、誰かのせいにしたり、私を口実にするとかは、私どもが求めていた『向き合う姿勢』とは違うんです」と記者会見で語ったが、今の東電にそんな経営の決定権があるのだろうか。
川村氏が会長をつとめた日立製作所なら、意思決定の基準は明確だ。最終的な決定権は株主にあり、彼らの利益を最大化するように決定することが経営者の義務である。しかし今の東電は、原子力損害賠償・廃炉等支援機構から出資を受ける政府の子会社のようなものだ。川村氏は、その結果に全責任を負うことができない。
もしも今、東電が「トリチウム水を薄めて流す」と決めたら、また漁協が反対し、マスコミが大騒ぎするだろう。漁協には拒否権はないが、「風評被害」に配慮しないと東電は、今後21兆円以上にのぼる廃炉費用に国の支援が受けられなくなるおそれがある。「半国営」の東電の主体性は、すでに失われているのだ。
この問題の解決策は一つしかない。東電の経営と廃炉を切り離し、廃炉について意思決定を行い責任を負う「主体」を明確にすることだ。それが企業の破綻処理の常識であり、事故の直後から多くの専門家が(私を含めて)提唱してきたことである。廃炉の決定も責任も「BAD東電」に分離するしかない。
その経営主体をどうするかについては、いくつかの考え方があるが、BAD東電の現在価値は大きなマイナスなので、何らかの形で国有化することは避けられない。福島第一だけを切り離すことは政治的にむずかしいので、東日本の電力会社の原子力部門を国が買収する「原子力公社」もありうる。
東電をスケープゴートにして問題を先送りしていると、また大地震が来たら1000基に及ぶ貯水タンクが決壊し、第二の福島第一原発事故が起こる可能性もある。政府も東電も「安全神話」を捨てるときだ。