今や一億総評論家となった感のある日大の悪質タックル事件。問題となった試合のビデオを見て、真っ先に「彼」のことを思い浮かべたのは恐らく私だけだろう。彼の名はボブ・グリーシー(Bob Greise)。1967年から1980年まで、全米プロフットボールチームのひとつ、マイアミ・ドルフィンズで活躍した伝説のクォーターバック(QB、タックルされた関学の選手と同じポジション)である。
高校でラグビーを始めたばかりの私が、その彼を初めて見たのは1970年代の後半。
プロフットボーラーとしては既にキャリアの晩年を迎えていた頃である。私が今でも記憶しているのは、ヘルメットの奥に垣間見えたその知的な双眸と共に、鼻の上にちょこんと乗った丸眼鏡である。そう、彼は眼鏡をかけたままあの激しい競技を、それも世界のトップレベルでプレーしていたのだ。
へえ、ラグビーなら想像もつかないなあ。アメフトはヘルメットを被るから、眼鏡をかけたままでもプレー出来るんだ。その意味ではラグビーよりよほど安全なのかも。当時の私はそう思った。
実際、アメフトの歴史はその誕生から百年以上絶え間なく続く、安全性獲得のための戦史でもある。そしてその陰には、わが国はおろか、アメフトの母国である米国でさえ今や忘れ去られてしまった史実がある。それは、アメフトの原型が形作られたと言われる19世紀末、米国にはラグビーという最大のライバル競技が存在したことである。
英国発祥のスポーツであるラグビーは、1874年、カナダのマクギル大学を通じて米国最古の大学ハーバードへと伝わった。イェール、プリンストン、コロンビアという近隣の3大学と共にリーグ戦を開催し(後にアイビーリーグの礎となる)、やがて西海岸へも伝播することで、ラグビーは米国全体を巻き込む国民的スポー
ツとして一時は隆盛を極めた。
しかし同時に、英国紳士流の精神を重んじた当時のラグビー規則について、飽き足りない感情を抱く人々が少なからずいた。今日、アメフトの父として知られるウォルター・キャンプ(Walter Camp)はその代表的な人物である。キャンプ自身はイェール大学のラグビー選手であったが、自らの経験をもとにラグビーのルールを米国人の嗜好に合うよう徐々に変えていった。例えば、スクラムの廃止はそのひとつである。
競技のプロ化という点でも、アメフトはライバルであるラグビーに先んじた。プロチームの誕生によって、大学のスター選手が卒業後もスターであり続ける仕組みが完成した。一見、良いことずくめのようだが、アメフトの発展には予想外の強敵が待ち受けていた。それは、規則が未整備なことによる試合中の暴力的なプレーと、それによる選手の怪我、それも大怪我の多発である。アメフトは危険なスポーツ。そんな風評が当時の米国で広まった。
さらに追い討ちをかけたのは、米国におけるラグビー人気の再度の高まりである。
余り知られていないが、かつてラグビー(15人制)はオリンピック種目であった(現在は2016年夏季大会から7人制がオリンピックに採用)。15人制ラグビーがオリンピックで採用されたのは1900年、1908年、1920年、1924年の計4度。このうち、米国代表チームは1920年アントワープ大会、1924年パリ大会の計2度、見事に金メダルを獲得している。
しかしそれでも、我々は米国におけるラグビーとアメフトの現時点における勝者がどちらかを知っている。激しい鍔迫り合い、或いは死闘とも言うべきライバル・ラグビーとの戦いを乗り越え、米国におけるアメフトは今日の隆盛を築いた。その裏には、時の大統領をも巻き込んだ、安全性獲得のための絶えざる改革の歴史があったのである。
わが国のアメフトとて決して例外ではない。今回の事件の一方の主役である関学アメフト部には、今も語り継がれる悲劇がある。1978年春、冒頭で紹介したボブ・グリーシーがプロとしての晩年を迎えていたちょうどその頃、近畿大学との試合でタックルを受けた関学のエースQB猿木選手が頸髄損傷という大怪我を負ったのである。今回、日大との件で関学が強く反発した背景には、間違いなくこうした経験が伏線になっているだろう。
最後にもうひとつの歴史を紹介しておく。事件のもう一方の主役である日大アメフト部に、かつてカリスマ監督として君臨した男がいた。故・篠竹幹夫である。篠竹は日大と関学との強固なライバル関係を、各々のユニフォームの色に因んで「赤と青」と表現した。実際、悲劇の前年(1977年)末の甲子園ボウルで、QB猿木を擁する関西代表・関学の前に立ち塞がったのは、篠竹率いる関東代表・日大であった。
自ら最大のライバルと呼んではばからないその関学で起きた上記の事故の直後(同年夏)、篠竹は一冊の著書を出版する(『アメリカンフットボール』、講談社)。そこにはこのような記述がある。
「フットボールをこれから始める人、また現在フィールドに出ているプレーヤー諸君にも、ぜひ心得ておいてもらいたいことがある。それはまず、フットボールを楽しみ、技術向上を目ざすには、安全性を重視しなければならないということである。防具の正しい着用はもちろんのこと、正しい基礎訓練の反復、ルールの正確な理解、これが安全を約束する柱である」 (出典 上掲書p17.)
今改めて読むと、こうした表現、そしてもしかすると著書出版のタイミング自体も、ライバル校・関学の悲劇を受けた、篠竹によるある種のメッセージだったのではないだろうか。筆者には篠竹が、アメフトの「ライバル」ではなく「仲間」へ向けた暖かい気持ちが、文面から切々と伝わって来る。真のライバルとはそういうものだろう。全てのアメフト選手たちは、こうした歴史をこそ是非学んでほしい。
大西 好宣(おおにしよしのぶ)千葉大学教授
慶大、コロンビア大学大学院、チュラロンコン大学大学院修了、高等教育学博士。NHK、国連、大阪大学等を経て現職。日本ラグビー学会会員。