バチカン法王庁の関係者もショックだったろう。アイルランドで25日、人工妊娠中絶を禁止してきた憲法条項(1983年施行)の撤廃の是非を問う国民投票が実施され、中絶禁止法が撤廃され、人工中絶が合法化されることになったからだが、それだけではない。カトリック国といわれてきたアイルランドの国体を支えてきたキリスト教価値観、世界観が次から次へと崩れていく様子を目のあたりにしたからだ。
ワシントンDCに本部を置くシンクタンク、「ピュー研究所」(Pew Research Center)が29日公表した「西欧のキリスト者」に関する調査によれば、アイルランドでは依然、80%の国民が「自分はキリスト教信者だ」と考えている。そのアイルラドで2015年、同性婚が公認され、同性愛者であると公表して話題となった39歳のレオ・バラッカー氏が首相に選出され、今月、世界で最も厳格な中絶禁止法を施行してきたアイルランドで国民の3分の2、約66・4%が中絶の合法化を支持したわけだ。
当方は国民投票の結果を報じたコラムの見出しを「アイルランド社会のダムが崩れた!」(2018年5月29日)と表現した。中絶禁止法が撤廃されるからではない。これまで「国のかたち」を形成してきた国民の世界観、価値観が、ダムの崩壊で大量の濁流に押し流されていくように感じたからだ。
コラムの中で指摘したが、アイルランドのローマ・カトリック教会で聖職者による未成年者への性的虐待事件が多発し、国民が教会に失望し、教会離れが加速されていったことは間違いない。教会が国民の生活に深く根付いてきただけに、その失望は深く、反発は予想以上に強いわけだ。
もちろん、欧州人の価値観、人生観を築いてきたキリスト教の崩壊現象はアイルランドだけではない。欧州全土に見られる。「ピュー研究所」は「西欧はプロテスタント(新教)の発祥地であり、カトリック主義の中心地だが、今日、世界でも最も世俗化した地域社会になっている。彼らの多くは依然、自分はキリスト教信者だと考えているが、教会にはほとんど通わず、教会の教えを実践することはない」と報告している。
(「ピュー研究所」は昨年4月から8月にかけ、15カ国で2万4599人に電話インタビューした)
例えば、英国や北アイルランドでは実践しないキリスト者の数(55%)は、少なくとも月1回は礼拝に参加する実践信者(18%)の3倍にもなる。非実践信者の数は西欧では多数を占め、無神論者や不可知論者、非宗教者の数と共に増加傾向にある。
参考までに、「ピュー研究所」の報告書によると、「自身をキリスト者と考える西欧人は移民、宗教的少数派に対してネガティブな感情を持つ傾向がある。また、カトリック信者とプロテスタント信者の間でイスラム教への対応は異なる。前者は後者よりイスラム教に対しネガティブに受け取り、イスラム教徒を家族の一員として受け入れることに抵抗が強い」という。
まとめる。西欧では教会という機関、組織に距離を置く一方、「自分は神を信じている」と考える国民が多いことだ。アイルランドの場合もカトリック教会への反発、抵抗がある一方、神への信仰を捨てる国民は少ない。換言すれば、「教会の神」から「自分の神」を見出していく傾向が強まってきているわけだ。「信仰の民営化」ともいえる。
カトリック教徒にとって「教会の神」が信仰の対象である一方、プロテスタント信者は「聖書の神」を重視してきた。しかし、ここにきて欧州のキリスト者は「教会の神」、「聖書の神」への信仰に失望し、疲れ切り、「自分の神」に癒しを求め出してきたといえるだろう。今後の問題は、「自分の神」と「他者の神」をどのように調和し、統合するかだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年5月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。