先日、某所の試写会に混ぜていただいたのでレビュー(なるべくネタバレしないように書くけど多少は勘弁)。
筆者は基本的に予備知識ゼロで見る人なので、本作も受賞ニュースの時にちらっと目にしたシーンを基に「マンションのはざまに残された平屋で、時に万引きに手を染めつつ家族が力を合わせて生き抜く格差社会映画」みたいなものをイメージしていたのだが、結論から言えばまったくそうしたテイストの映画ではない。
祖母の年金と古ぼけた平屋にたかるような形で、父と母とその妹、主人公の少年は暮らしている。父は日雇い、母は潰れかけのランドリー工場で働いているが、それで賄えない分は父と少年がコンビを組んで万引きで手に入れる日々だ。といって暗さとか悲壮感みたいなものはまるでなく、一家は和気あいあいと幸せそうな生活を送っている。
だが、どこかがおかしい。違和感がある。両親と高校生の娘でバイトすれば普通に生活できるくらい稼ぐのは難しい話ではないだろう。祖母の年金と家があるのだから万引きするほど切羽詰まるとは思えない。そもそも、二人の未成年者は学校にも行っていない。まるで家族全体で人目を避け、あえて周囲との交流を絶っているかのようだ。
ある冬の夜。父が、通りがかった団地の廊下で一人震えていた少女をみかねて家に連れ帰る。少女の体は傷だらけで、ひどく虐待されていた事実を知ると、家族は少女を6番目の家族として受け入れることを決める。ここにいたって、一家は実は血のつながった家族ではなく、それぞれが居場所を求めて集まって出来たふきだまりにすぎないことが明らかとなる。
「血のつながりではなく、自分で選んだ絆の方が強いってこともあるかもしれない」みたいなセリフが印象に残る。
6人で奇妙な生活は貧しいがどこか懐かしい昭和の匂いがする。みなで海に遊びに行ったり、縁側で隅田川花火(の音だけ)を楽しんだり。かつてあったが時代の流れとともに失われた共同体がそこにはある。
でも、現実には自分たちで選んだ絆はもろいものだった。ある出来事をきっかけに家族は完全崩壊し、みなそれぞれのいるべき場所に戻っていく。でもいるべき場所に戻っても、もう誰一人笑ってはいない。全体のテイストとしては「誰も知らない」を連想させるが、このあたりのテーマは「そして父になる」の方が近いだろう。
最初、エンディングはとても悲しいものに思えたが、逆に考えると、一人でもあの家族を懐かしみ、本当の絆を見出していた人間がいたことは、むしろ“救い”なのかもしれない。
編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2018年6月1日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。