天安門事件 六四紀念館の現在 --- 半場 憲二

六四記念館公式ブログより:編集部

香港六四紀念館(日本では「六四記念館」と報道)を訪ねた。昨年と同じ建物 「賽馬會創意藝術中心」にある。先に述べておくと、今期も期間限定で4月20日~6月10日迄の2ヶ月間、開館時間は正午から19時までとなっている。お馴染みの女性職員に『来年も開くのか?場所を移動するか?』と聞いても、『先のことは全くわからない』という。

昨年12月23日、AFP通信は『1989年に中国の首都・北京の天安門広場で民主化運動が軍によって武力弾圧された「天安門事件」の死者が、少なくとも1万人に上るとする英国の公文書が新たに公開された』と報道している。このニュースを聞き、六四紀念館でも「英国公文書が閲覧できるようになるだろう」と期待した。実際に英語版は置いてあった。コピー・ファイルがただ置かれているだけである。


今期のリーフレットを読むと「専題」に『政治、経済、社会、文化と環境の5方面からの評価、中国改革開放40年の功罪、89民主化運動と6.4虐殺、各国の六四解読文献』とある。英国公文書について詳しく解説しているものが見当たらない。どうしたものだろうか?

館内中央に椅子が15脚ほど置かれ、小さなテレビに向かって事件当時の映像を見ることができる。初来館者や天安門事件を知らない若者たちが訪ねれば興味を唆る内容かもしれないが、私のように何度も足を運んでいる者には物足りない。

昨年6月4日、私は維多利亜(ビクトリア)公園サッカー場で開催された「平反六四、専制結束」という追悼集会に参加した。正午過ぎくらいから準備がはじまり、地下鉄駅から公園までの500メートルほどの道程は、活動家やプロアマの芸術家がわたしを見てくれと言わんばかりのパフォーマンスを披露していた。

「平反」とは「誤りを正す」「名誉を回復する」の意味で、「専制結束」の「結束」は日本語の「志を同じくするものが結束する」とは大違い。「終結、打ち切る、終わらす」つまり「共産党による専制政治を終わらせよう!」という意味になる。夕方から徐々に人が集まり、空が暗くなると蝋燭に火を灯しながら、聴衆は演説に耳を傾けた。小さな子連れの夫婦や車椅子でやってきた老人もおり、関心の高さが伺えた。

六四紀念館の話に戻りたい。館内を一周りしてから職員に質問した。『今期の展示・活動の中で最も主張したいものは何ですか?その資料はありますか?』と聞くと、『ありますよ』と手渡してくれたのが『英国公文書』ではなく、機関誌『港支联通询』だった。2018年2月(116期)と4月(117期)の2部受取った。大事なのは117期の『5ページだ』と教えてくれた。

だがどこを読んでみても目新しいものはない。私が聞き間違えたのかもしれない。116期の5ページを読むが、こちらも「民主女神の紹介」で今期の主題から遠ざかってしまう。

滞在時間は限られる。『何か分からないことがあったら、メールで問い合わせができる。こちらへ』と表紙にある連絡先を指差して教えてくれた。私は自宅に戻ってから簡単な挨拶文のあと「資料の再確認」と他にも幾つか質問を試みたが、返信がないまま7日が経過した。

『先のことは全くわからない』と職員は述べた。どんな活動もそうだが、資金がなければ身動きできない。開館時間が短い。人件費がかかる。それも理解できなくない。しかし、昨年12月末に公開されてから三ヶ月以上あるが、英国公文書の一部又は要旨すら母国語に翻訳されておらず、ただファイルが置かれただけの状態である。それを『六四解読』と謳うのはどうかと思う。

私の問い合わせは普通語・簡体字だが、まさか英語と広州語・繁体字の問い合わせにしか応じないというわけでもなかろう。こうした一つ一つの対応の遅れや問い合わせへの無反応そのものが活動のバロメーターと言えまいか?

29年前、北京で起こった天安門事件を、なぜ香港人が語り続けるのか?犠牲者を追悼し、後世に受け継ごうとする地道な活動は、常に中国共産党の攻撃の的であるのに対し、英国公文書が示したように海外の関心の的でもあらねばならないはずである。それに応じようとする気配が薄いのである。

本日6月4日20時、同じ公園で、『「六四」29周年烛光悼念集会』(キャンドルライト追悼集会)が実施される。今度の蝋燭の一部は六四紀念館の足元を照らす必要があると思われる。

半場 憲二(はんばけんじ)
中国武漢市 武昌理工学院 教師