人を超越し、天と対峙する

アリババ創業者の馬雲(ジャック・マー)さんの言葉に、「他人から良く言われる時、実際には何もよくない。お前たちはダメだなと言われる時、結構良いんじゃないかな。こういう心理で今まで走り続けてきました」というのがあるようです。私の場合はと言うと、常に見るのは人でなく天であります。これまで、唯々自分の良心に顧みて「俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じず」の精神の基、世の毀誉褒貶を顧みぬよう努めてきました。

それは正に『孟子』にある有名な孔子の言葉の如く、「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾(われ)往(ゆ)かん」という世界です。何事においても何時も己の確固たるものを持ち主義・主張・立場を明確にし、自分の良心に恥じないような生き方を貫き通すことが大事だと思ってきました。

『論語』の「為政第二の二十四」に、「義を見て為(せ)ざるは、勇なきなり」という孔子の言葉もありますが、私が中国古典とりわけ『論語』から学んできたのは、筋を通し義を貫くという生き方です。如何なる事態に直面しようともそうした姿勢を決して崩さず、世の様々な評判を一切気にせずに、自分が正しいと信じた道を勇気を持って突き進んできたつもりです。

もちろん人夫々の考え方や人生観で生きたら良いとは思いますが、そもそも人から良く言われようが悪く言われようが人の言など気にしていても仕方がないと思います。何故なら、嘗てのブログ『何のために命を使うか』(14年8月21日)でも述べた通り、此の世に生を受けた以上、我々は自らに与えられた天命を明らかにし、その天命を果たすために命を使わねばならないからです。

『論語』の「尭曰第二十の五」に、「命を知らざれば以て君子たること無きなり」という孔子の言があります。天が自分に与えた使命の何たるかを知らねば君子たり得ず、それを知るべく自分自身を究尽し、己の使命を知って自分の天賦の才を開発し、自らの運命を切り開くのです。

あるいは佐藤一斎なども『言志録』の中で、「人は須らく、自ら省察すべし。天、何の故に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役供せずんば、天の咎(とがめ)必ず至らん。省察して此に到れば則ち我が身の苟生すべからざるを知る」と言っています。

自分は天から如何なる能力が与えられ、如何なる天役(…此の地上におけるミッション)を授かり、如何なる形でその能力を開発して行けば良いのか――天が与えし自分の役目を己の力で一生懸命追求し、その中で自分自身を知って行くのです。

そして一度それを探し当てたらば、上記の言葉「自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん」のように、人を超越し天と対峙して自らの心に一点の曇りなき事柄を、世のため人のため自分の使命として堂々と為して行くだけです。

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