子どもは親の持ち物ではない:強すぎる親権に制限を

虐待を受けていた5歳の女の子が、「おねがいゆるして…」と書き残して亡くなった。うちの二人目の娘が生きていれば、ちょうど5歳になる。言葉がない。

事件が明るみになった翌日、超党派の議員連盟でヒアリングを行った。自治体間の情報共有など、このケースに特有の問題が原因として挙げられたが、根本にあるのは「強すぎる親権」だと思う。

これまでも、虐待する親から子どもを引き離す際などに、「強すぎる親権」は問題となってきた。児童養護施設に入る際も、里親や特別養子縁組の家庭に入る場合も、家庭裁判所の勧告がある例外的なケース以外では、親権を持つ親の同意が必要だ。行先の決まらない子どもは一時保護所に入れられ、その間、学校に行くことすらできない。昨年末、児童相談所や一時保護所を訪れて、今年こそ親権制限に取り組もうと思っていただけに、無念の思いにさいなまれている。

児童相談所や児童養護施設では、「虐待されている子どもも、親と会いたがる」という話をよく耳にする。どんな親であっても、子どもにとっては特別な存在なのだ。子どもはそれ以外の選択肢があることを知らないのだ。

子どもは親の持ち物ではないはずだ。2016年、わが国の親権停止は、わずかに83件に過ぎない。ドイツでは毎年1万以上、英国では毎年5万以上の親の親権が停止され、ほとんどの子どもは、新しい親と共に生活している。

親とは何か。家族とは血のつながりを言うのか。私は違うと思う。育てられない親、育てる資格のない親が現実にいる。そのようなケースでは、乳児を含めて子どもたちに、それ以外の選択肢を示すのが、社会の責任だと私は思う。多様な家族のかたちを積極的に認めるべきだ。

もう一つの課題は、児童相談所の機能強化だ。児相の対応を批判するのは簡単だが、私の知る限り、現場の職員は懸命に取り組んでいる。私の地元の児童相談所で相談にあたる児童福祉司は、一人で80人から90人を担当しており、多忙を極めている。

複雑な事情を抱えた家庭と向き合い、虐待に合っている子どもを親から引き離し、里親や特別養子縁組を行うだけの時間的な余裕はない。ここは国が予算を増額して早急に対応するべきだ。児相に抱え込ませないことも大切だ。裁判所や養子縁組などに取り組む民間団体などとの連携も強め、児相をサポートする体制も整えなければならない。

いずれも簡単に解決する話ではない。しかし、今も虐待にあっている子どもがいる以上、一刻の猶予も許されない。ここは、政治の出番だと思う。


編集部より:この記事は、衆議院議員の細野豪志氏(静岡5区、無所属)のオフィシャルブログ 2018年6月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は細野豪志オフィシャルブログをご覧ください。