行方不明となった「神」を探せ!

天の川銀河の中心部に発見されたブラックホール・バウンティ NASA提供

カナダの主要先進諸国会議(G7)、シンガポールの米朝首脳会談、そしてモスクワのサッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会の開幕と重要なイベントが5月から6月にかけ立て続きに開かれ、それをフォローしてきたので書きたいテーマは後回しになってきた。テーマは「神の不在」から、「去ってしまった神(行方不明の神)」探しという問題だ。

神の不在論は神学界でも大きなテーマだ。多くの宗教家、神学者が考えてきた。日本の読者には最近映画化され欧州でも話題となった遠藤周作の名作「沈黙」を思い出してもらえばいい。迫害され、虐待されるキリスト信者の魂からの叫びだ。「あなたはどこに居ましたもうか」だ。

当方は「『神の不在』に苦悩した人々」2011年8月18日参考)で「人間の苦痛」と「神の不在」について、過去の哲学者、宗教家、神学者のアプローチを紹介した。

ギリシャの哲学者エピクア(紀元前341~271年)は、「神は人間の苦しみを救えるか」という命題に対し、「神は人間の苦しみを救いたいのか」「神は救済出来るのか」を問い、「救いたくないのであれば、神は悪意であり、出来ないのなら神は無能だ」と述べている。紀元前の哲学者が「神の不在と人間の苦痛」をテーマに既に死闘していたことが分る。

最も辛辣な見解は「赤と黒」や「バルムの僧院」などの小説で日本でも有名な仏作家スタンダール(1783~1842年)だ。彼は(神が人間の苦痛を救えない事に対し)、「神の唯一の釈明は『自分は存在しない』ということだ」と主張した。

ポルトガルの首都リスボンで1755年11月1日、マグニチュード8.5から9の巨大地震が発生し、同市だけで3万人から10万人の犠牲者を出し、同国で総数30万人が被災した。文字通り、欧州最大の大震災だった。その結果、欧州全土は経済ばかりか、社会的、文化的にも大きなダメージを受けた(「大震災の文化・思想的挑戦」2011年3月24日参照)。

仏哲学者ヴォルテール(1694~1778年)はリスボン大震災の同時代に生きた人間だ。彼は被災者の状況に心を寄せ、「どうして神は人間を苦しめるのか」と問いかけ、「神の沈黙」を嘆きだ。

最近の例を挙げてみよう。世界に親しまれていたカトリック教会修道女テレサは貧者の救済に一生を捧げ、ノーベル平和賞(1979年)を受賞、死後は、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の願いに基づき2003年に列福された。その修道女テレサが生前、書簡の中で、「私はイエスを探すが見出せず、イエスの声を聞きたいが聞けない」「自分の中の神は空だ」と述べている。

コルカタ(カラカッタ)で死に行く多くの貧者の姿に接し、テレサには、「なぜ、神は彼らを見捨てるのか」「なぜ、全能な神は苦しむ人々を救わないのか」「どうしてこのように病気、貧困、紛争が絶えないのか」等の問い掛けがあったのだろう(「マザー・テレサの苦悩」2007年8月28日参照)。

ところで、最近、ショッキングな命題に接した。「神は不在ではなく、去っていった」というのだ。無神論者も有神論者も常に「神」の存在を前提にその是非を考えてきた。アイルランド出身の劇作家オスカー・ワイルドは少々皮肉を込めて「放蕩息子は必ず(神に)戻ってくる」と書いている。すなわち、全ては「神」から始まり、「神」に戻ってくる。しかし「神は去った」は全く別次元の話だ。「神の館」にその主人、「神」がいないというのだ。

「去ってしまった神」について、テキサス出身の説教師ジェシー・カスターを主人公とした米TV番組「プリーチャー」(Preacher)や長期連載TV番組「スーパーナチュラル」(Supernatural)でも既にテーマ化されている。「神は天国にもはやいない」「神はどこかへ行ってしまった」というテーマを扱っているのだ。

聖書をみると、人類始祖アダムとエバの堕落、その後の世界をみて、神は「わたしは、全ての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地と共に滅ぼそう」(創世記6章13節)として40日間、洪水を起こす。神は第2のアダム家庭としてノア家庭8人を中心に再出発する。それでは、「去って行った神」はノアの時代のように第2の洪水を密かに起こす計画なのだろうか。

宇宙には暗黒物質(ダークマター)が溢れ、誕生した星はブラックホールに吸収されて消滅していくように、聖書の「ヨハネの黙示録」が示唆するように、世界にはハルマゲドンが近づいてきたのだろうか、等々の思いが浮かび、消えていく。

神の不在にはまだ余裕があった。神は必ず再び戻ってくる、という確信みたいなものがあったからだ。その神が去ったとすれば、その後の世界はどのなるのか。主人公が突然、舞台から姿を消したならば、その後の劇の運びはどうなるのか。「スーパーナチュラル」で天使カスティエル(Castiel)が「天国にはもはや誰もいない」と嘆く場面がある。

「行方不明の神」はどこへ行ったのか。別の宇宙か、それともこの地上に降りてこられているのか。神の「不在論争」から一歩進んで今、神の「行方捜査」が大きなテーマとなってきているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年6月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。