書評「ブルックリンでジャズを耕す」

ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス
大江 千里
KADOKAWA
2018-01-19

 

以前から著者は独特の文体をもっていて、それが好きで自分は学生時代、プレイボーイでの連載を読んでいたこともある。その独特のセンスは本作でも健在だ。

アメリカ生活が9年目に入って僕の舌にも変化が出始める。あんなに毛嫌いしていたアメリカの食べ物ががそうでもなくなり、おいしいハンバーガーやステーキに、逆に飢えるようなことが増えてきたのだ。皿を傾けて、盛りつけられた肉に肉汁をかける瞬間のスリル。ミディアムレアに焼いた肉の中からにじみ出る旨味、深み。それはまるでジャズのフレーズをひとつひとつ覚えるがごとく、自分の体の中で日常の味となってゆっくりと根付き、汗になるサイクルを繰り返し始めていた。

本作を読むまで、筆者はなんとなく大江千里という人物は「何歳からでも挑戦することを諦めないタフガイ」をイメージしていて、だから日本で確立したポップシンガーの地位を捨てて渡米したんだろう的なことを想像していたのだが、結論から言えばそれはぜんぜん間違いだった。

けして器用ではないが音楽が好きで、自分が関心をもったこと、好きなことを追求できる純粋さを持った少年。本書からはそんなイメージが浮かぶ。だから、本人からすれば「十人十色♪」と歌っていた時とノリは変わっていなくて、ただ世界中からクリエイターが集まり常に変化しているニューヨークという街に行きついたということなのだろう。実際、引っ越し癖のあった氏は、いまではブルックリンに落ち着き、ツアーから戻るたび「故郷に帰ってきたかのような安心感」さえ感じられるという。

これは筆者自身も感じていることだが、人間は40代半ばにもなると、今までやってきたことの延長戦上でしか動こうとしなくなる傾向がある。本当は日々の暮らしの中に必ず興味を引くものや新しい刺激が隠れているのだが、それらに目をつぶって過去の積み重ねに腰掛けようとする。人生100年時代、これは実にもったいないことだと筆者は思う。

キャリアデザイン指南としても本書は示唆に富む。47歳で渡米し名門の音楽学校に入学してからは、ものすごい勢いでお金が銀行から減っていく。英語の授業にも十分にはついていけないからプライベートで家庭教師も雇わねばならない。でも常に前向きに、自己管理を徹底することで、最後にはちゃんと成長という結果がついてくる。バブル期、「自分の銀行口座残高すら知らなかった売れっ子シンガー」の面影は既にそこにはない。

僕はいつしか3年になり、4年を迎えつつあった。次の人生を前向きに考える時期に差し掛かっていた。その頃になると、自分に投資するお金と節約するお金を、かなりストイックに使い分けていた。こんなことが自分にもできるんだという新たな自己発見。客観的に節約ができたかどうかと厳密に問われると微妙だ。しかし「節約できた」が重要ではなく、「何に使い何に使わない」という「メガネ」を新調したことが大きな進歩だったのだ。

最後、特に印象に残った一節を引用して終わりとしよう。たかが40歳や50歳で人生消化試合モードに入っている人はまだ間に合う!考え直そう!

僕がブルックリンでジャズを耕し始めてから6年以上の歳月が流れている。運命という言葉がもしあるとすると、それを変えることはできるのだろうか?もしかしたら難しいのかもしれない。しかしながら自分がどう生きるかというのは自分自身が決めることだ。そう考えると今まで生きてきた道は自分自身が選んだものであり、これからはまた新しく思いのまま「作っていく」ものだ。
(中略)
音楽は人生を深く生きるためのテキストブックだ。練習をし知識を増やし技を覚え、また練習する。そして今、僕は過渡期にいる。次の次元に行くためもがいている。60歳から始まるであろう新しい“青春”に向かって。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2018年6月25日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。