サッカーワールドカップ、日本・ポーランド戦での西野監督の采配が物議を醸しているようです
正直言うとこの件には余り触れたくなかったのですが、どうにも話がおかしな方向に進んでいるので取り急ぎこの場をお借りして私見を述べたいと思い筆を走らせました。
勝つ為に努力する義務について
国際サッカー連盟(FIFA)にはFIFA行動規範という、いわば『サッカー界の憲法』のようなものがあります
その第1条にはこのような事が書かれています
【1:勝つためにプレーする】
勝利はあらゆる試合のプレーする目的です。負けを目指してはいけません。もしも勝つためにプレーしないのならば、あなたは相手をだまし、見ている人を欺き、そして自分自身にうそをついています。強い相手にあきらめず、弱い相手に手加減してはなりません。全力を出さないことは、相手への侮辱です。試合終了の笛が鳴るまで、勝つためにプレーしなさい。
ここでの勝利についての解釈は様々にわかれると思いますが、文脈的には直面の試合の事についての言及であると解釈して良いと思います。
つまり、『目前の勝利を目指さないプレーをする事はサッカー界に於ける憲法違反』という事になります。もっとも、これには罰則規定は定められていませんからペナルティーが課される事はありません。
ただ「ペナルティーが課されないからルール上問題がない」という発想については、すみません、ついて行けないです。
ではもし「お前は今回の代表の選択を糾弾するべきだと思うのか? 」 と聞かれたら、それはNoです。なぜならば私が監督ならば同じ選択を取ったと思うし、何よりも今回の選択で彼らがトーナメントに進めた事に感謝しているからです。
ポーランド戦での布陣をターンオーバーをした(主力を休め、控えメンバーで戦った)と批判していらっしゃる方がいますが私はそう思いません。第3戦・累積カード状態という戦局を加味すれば最善策のひとつだったと思います。ただあの布陣ならば絶対失点してはいけなかった。また岡崎選手の負傷離脱で貴重な交代枠を一枚使ってしまったこともキツかった。今回の超守備的布陣から攻勢に転ずるのは無謀に等しいものがあります。
また綺麗事だけで勝ち抜くことが出来ない事もわかっているつもりではいます。
サッカー国際Aマッチで両国同時に入場するのは、ワザと遅刻して対戦相手の身体が冷えた所を一気に攻める戦略が横行したからです。子供と手を繋いで入場するのは、ウエイティングゾーンで喧嘩が絶えなかったからです。
勝負事の本質とはそんなものです。
しかし同時に、フェアプレイポイントを使いアンフェアに勝ち上がった事による批判は受け入れるべきだと思うし、それに正当性を担保すべきではないとも思っています。
カルネディアスの板を奪うことが罪に問われる事が絶対にあってはなりませんが、賞賛されるのもおかしいということです。ましてやそれが身内ならば尚更です。
これは綺麗事で言っているのではありません
ここのバランスが崩れると競技自体の魅力が衰退してしまうからこそ危惧しています。
よく「強いから勝ったのではない、勝ち上がったから強いのだ」という格言がありますが、これは半分正解で、半分間違いです。
強いから勝った訳ではないでしょうが、勝ち上がっただけで強くなんてなれません。力(資金、注目度)を得られるだけです。
そして弱い状態のまま力を付け続けても人は強くはなリません、凶暴になるだけです。
最近の話ならば『日大アメフト事件』が解りやすい事例だと思います。彼らの現状も、また彼らに石を投げ続けるだけで発展的な提案が全く示せない個人・団体も「弱いままで力を欲して凶暴さが常態化したクラスタ」であると確信しています。
弱さに直面出来ない凶暴な組織が強化に成功したという話を私は聞いた事がありません。
逆にセネガル代表・アイスランド代表は今回予選リーグで敗退したものの、多くのサッカー関係者から尊敬を集める事に成功しました。彼らが大会で得た尊敬心は彼らの国の長期的な強化にとってかけがえのない財産となるでしょう。
日本サッカー界は今回トーナメントに出場する権利を得ましたが、同時に今「凶暴になるリスク」と「強くなれるチャンス」にも直面しているようです。
彼らがそのどちらを選択するのかは彼ら次第だと思います。
皆さんはどう考えますか?
天野 貴昭
トータルトレーニング&コンディショニングラボ/エアグランド代表
@tamano_ins