サッカーW杯ロシア大会決勝トーナメント1回戦で、日本はベルギーに2-3で破れ、初のベスト8進出はならなかった。前半のベルギーの猛攻をしのいだ日本は後半早々、原口、乾の技ありのシュートで2点を先取。歴史的快挙へ視界が拓けたように思えたが、高さとスピードで上回るベルギーの攻勢に再び苦しめられた。
後半24分、フェルトンゲンのクロス気味のヘディングがそのまま日本ゴールに吸い込まれると、5分後には194センチの上背を誇るフェライニのヘディングで同点弾を叩き込まれ、最後はアディショナルタイム終了ぎりぎりに受けたカウンターからシャドリに決勝ゴールを奪われた。
西野監督は試合直後のインタビューに声を絞り出すように「あそこまで覆されるとは思ってもいなかったので、W杯なのかなと思いました」と述べていたが、終了後のピッチで悔し涙にくれ、茫然自失の選手たちもいて「勝てた」試合を落としたショックの大きさを物語っていた。
かつてない「期待薄」からの健闘劇
しかし、そもそも大会前を振り返れば、日本の選手たちは見事な健闘だったといえる。昨年12月の東アジア選手権で韓国に敗れてからは親善試合も含めて白星から遠ざかり、突然の監督交代を経て、大会前最後のパラグアイ戦で久々に快勝。それでもメディアの報道もいつもの大会前と違って盛り上がっているとは言い難く、W杯初出場当時から目にしてきた限り、6度目の出場はかつてないほど国内の期待は薄い中で迎えた。監督交代劇を巡っては協会とスポンサーの関係を論じるネガティヴな批評もネット上では散見された。
蓋を開けてみれば、前回大会で惨敗を喫した因縁のコロンビアとの初戦で敵失にも恵まれ、アジア勢で大会初めて南米勢を破る歴史的快挙を遂げた。パワー、スピード、組織力にすぐれたセネガルにも粘り強く引き分けるしぶとさをみせた。
そしてポーランド戦は敗れながらもフェアプレーポイントの僅差でセネガルをかわし、2大会ぶりの8強入りを果たした。ただ、この試合は、負け試合でありながら、終盤はボール回しに徹して大会規定による決勝トーナメント進出を狙った西野采配を巡って物議を醸し、ネット上でも論争が白熱。アゴラでも国際情勢などを引き合いにもしながら、さまざまな投稿が相次ぐ異例の展開だった。
ドーハから四半世紀を経た時点の進化と限界
筆者は運動記者時代、プロ野球などが担当でサッカーは専門ではないが、四半世紀、日本サッカーの栄枯盛衰を時にディープに、時にライトに目撃してきたファンとして感じたのは、じわじわと裾野を広げてきた「進化」と、突きつけられる「限界」だった。
今年でちょうどJリーグ開幕とドーハの悲劇から四半世紀であり、フランスで初めてW杯に出場をしてから20年。節目のシーズンでの挑戦は、あらためてここまでの日本サッカーが培ってきたものを抜本的に試すようなシンボリックな意味合いを強く感じさせた。
フランスで3連敗し、初めて世界の壁にぶつかったとき、日本代表にはのちにイタリアに移籍する中田英寿も含めて、誰もヨーロッパでプレーする選手はいなかった。しかし、今大会は23人中15人が海外に所属。今大会で点を挙げた6人の選手がみなヨーロッパクラブ在籍 or 経験者だったことは、あらためて日本サッカーの選手たちのグローバル化が進んだ成果のひとつだといえよう。コンディションが整い、組み合わせなどにも恵まれれば、グループリーグを突破できるだけの「地力」は着実に付いている。
一方で、このベルギーでの敗戦は、あらためて現時点での「壁」を象徴していたように見えた。体格差、スピード、組織力、テクニックのいずれも上回る難敵とはさんざん戦ってきたが、各チームが最大限の力を出してくるW杯決勝トーナメントで、どう渡り合うか。埋めがたい体格差の代わりに何で補ってあまりあるサッカーを目指していくのか、これは監督が今後代替わりをしても日本サッカーが全体として目指していくものが何か問いかけられたのではないか。
「個」の部分でも、ヨーロッパに進出する選手は増え、最近までインテルで7年プレーした長友佑都のように、ビッグクラブでプレーする選手もでてきたが、W杯でベスト8を目指すのであれば、レアル、バルセロナ、マンUなど、スペイン、イングランドの超名門クラブにおいてレギュラーで5年以上プレーできた選手がもっと出てこなければなるまい。もちろん、少子化の中で裾野を広げ、安定的に選手を育成し続けられかも問われる。
香川選手は試合後、「勝ちきりたかった…やはりこれが壁。現実は、僕たちは受け止めないと…結果は必ず意味はあると思う。つなげてやっていきたい」と述べていたという。これからも一進一退を繰り返すのであろうが、この国民的スポーツの発展の成否を見守りたい。