死刑制度を巡るさまざまな論点 --- 鈴鹿 久美子

寄稿

昨日の死刑執行のニュースには驚きました。そろそろあるとは言われていましたが、

一連の事件で死刑が確定した13人のうち7人の死刑が執行されました。対象とされた7人の選定理由について上川陽子法務大臣は「答えを差し控え」ました。

一連の事件の重大性と社会的影響力、
そして、今朝の7人の死刑執行という事実にどう向き合うか、

事実、私もニュースを見ながら、事件が起きた当時についてや死刑執行の是非を考えるうちに、眩暈を感じるほど当時を生々しく思いだしました。

自分自身の考えを整理するためにも大学時代に学んだ刑罰の在り方と死刑制度の是非について世界の潮流も含め改めて考えたいと思いました。

まとまっているとは言い難いのですが、今日の今日だからこそ大切だと思うことをまとめてみました。

長文駄文私的見解お許しください。

また、死刑制度の是非については、国会においても議論が深まっているとは言い難く、有権者である国民の側から発信すべきこともあるのではないかと考えます。私自身改めて自分の考えを問い直すこともしてゆきたいと思いました。

日本における死刑制度

日本において死刑が確定してから執行されるまでは約5年。刑事訴訟法475条により法務大臣の署名捺印によって死刑確定後6か月以内に執行されることになっています。

今回は、今年2月に一連の裁判が全て確定したことからこの「6ヵ月以内」が執行されたものと考えられます。

女性の法務大臣として印象に残っているのは、第83、84代千葉景子法務大臣。

死刑廃止論者でしたが、法務大臣の職に就いた後、所属していた「死刑廃止議連」を脱退し、法務大臣として、法の安定性(存在する法律が社会秩序維持に資する価値を維持するために必要と考えられる法の価値)に鑑み死刑執行に大臣として署名し、その責任を果たすと死刑執行の現場に立ち会ったことが議論を呼びました。

・刑法第9条

死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。

・第11条

死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。

死刑には様々な方法があり、日本も歴史を経て現在の絞首刑となっていますが、これについても議論がされています。

「死刑」は憲法が禁止する「残虐な刑罰」か否か

死刑は、日本憲法が禁止する「残虐な刑罰」にあたるかについて議論があります。

・日本国憲法第36条

公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

1946年にあった尊属殺(現在は廃止された刑法規定)事件で最高裁に上告した被告人と弁護人らが、「人道的な殺人」が存在しない以上、時代に依存した相対的基準を導入して「残虐」を示すことが「生命の尊厳」を損ねるとして訴えました。しかし判決は「社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性」は承認され、その「残虐性」に関しては、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法」な方法を指すとされ、絞首刑はそれには当たらない、とされました。この最高裁判決が現在の死刑制度存置の根拠となっています。

何が残虐で、どうすると残虐でない死刑の執行方法があるのかについては、米国の一部の州などで実施されている薬物による死刑が挙げられることがあります。日本というと、侍の切腹を「ハラキリ」と揶揄し死刑存知国として残酷な国だと言われることがあるのはこうした執行方法の比較から生れるものです。

世界から見た日本の刑法

日本の刑法典の特異なことのひとつに、平成16年に改正されるまで強盗罪の方が強姦罪より罪が重かったことが挙げられます。これは「人」より「物」の方が重要だったというほど日本は物資に乏しい国だったことの表れであると解釈される学者もいます。

この法改正の際、私は政策秘書として実際に改正作業に関わらせて頂き、学生時代からの疑問だった刑法典の改正が実現したことを感慨深く思いました。

性犯罪に関しては、2017年6月8日に更に改正され、性別に関わらず刑罰を科すこともできるようになりました。人権に関する解釈がやっと社会に浸透したと評されたりもしました。

この平成16年の法改正と前後して、私は議員の随行で国連の「女性差別撤廃条例」批准後5年経過後の報告会に出席しました。この時、日本の刑法が世界から見たときにどれほど野蛮に映るのか、南アフリカの方に厳しく指摘されたことを思い出します。折も折、日本では時の法務大臣が、輪姦事件に関して「大学生はそのぐらい元気があった方が良」と発言したことに関しての法的制裁措置がないことについて、世界中から激しいブーイングを浴びたことも忘れられません。

死刑制度存知国

日本が承認している全世界の国の数は196か国、国連加盟国数は193か国です(外務省)が、承認していない国も含め198ヶ国で見ると、死刑存知国は56ヶ国、事実上の廃止も含めると死刑廃止国は142ヶ国です。この数字が多いか少ないかについては議論があり、死刑執行数を発表しない国もあることから、人数比からすると5割と評する見方もあります。

EU加盟条件としての死刑廃止

人権思想発祥の地である欧州では、欧州評議会で、1982年、平時の死刑の廃止を規定する第6議定書を採択し、2002年に第13議定書において「戦時を含むすべての状況における死刑の完全廃止」を規定しました。宗教的背景も違う日本と一概に比較することはできませんが、その理由については以下のように述べられています。

欧州連合(EU)基本権憲章には、「何人も死刑に処されてはならない」と規定され、死刑廃止はEUの加盟条件です。

その理由は、人権的観点のみならず、死刑の「不可逆」に重きを置いているからと言われています。冤罪の場合など、取り返しがつかないことになるからです。

欧州連合は「刑罰を科す」ことの目的を、犯罪を理解させ社会構成員としての役割を認識し、最終的に社会復帰させることとしています。日本の死刑以外の刑罰もこの点は同様で、社会復帰を目的とした教育刑として刑罰は課せられます。ただ、死刑は「執行」されるまで、刑罰が実現されてはいませんので、死刑執行までの間は「刑務所」ではなく、刑が確定してない人が入る「拘置所」にいることになります。

(因みに、「留置所」は検察ではなく、警察によって身柄を管理された人が入るものです。)

EUや死刑を廃止した国の多くは、「社会復帰」ができない死刑は刑罰の目的が果たせないと考えます。また、死刑に犯罪抑止効果を訴える「死刑存知」の考えには、欧州では死刑廃止後重大犯罪が増えたという事実が見られず、州によって法律の違う米国では、死刑存置州より廃止州の方が殺人事件の発生率が低く、犯罪抑止力は否定されています。

更に、事件当初「死を以て報いてほしい」と願った被害者遺族も、実際の死刑執行に際した場合には再度「人を死なせた」事実を受け止めねばならず、被害者遺族感情に資するとは言えないというのが廃止国の認識です。

日本の刑罰と犯罪者、犯罪被害者と犯罪者の家族の問題から

この点、日本の刑罰も社会復帰を目的としたものである以上、いわゆる「目には目を」のハムラビ法典的「応報刑」ではありません。律令時代、神明裁判である「盟神探湯(くがたち)」といって、熱湯に手を付けさせ「赤くなったら犯人」とし、斬首、切腹などの刑罰を科していた時代からみると、残酷さは薄まっているのかもしれませんが、世界の潮流から見た執行方法のみならず、死刑制度自体について、ひいては刑罰の在り方、犯罪者の社会復帰について、私自身も社会構成員の一人として考えなければなりません。

犯罪者が刑期を終え社会復帰したときに、それをどうやって受け入れるのか。仕事はどうやって誰が与えるのか。地域はそれをどうやって受け入れるのか。犯罪被害者の被害者感情と報道の観点、そして加害者家族の社会的立場と批判についても、もっと考えなければならないと思っています。

最後に

今朝の死刑執行報道を受け、坂元裕二さんが描く「それでも、生きてゆく」を思い出しました。2011年に放送されたフジテレビのテレビドラマです。犯罪被害者と犯罪加害者の家族について、当事者をふくめた社会問題を家族の視点から描いたものです。このドラマは何度繰り返して見ても、答えが見つかりません。

私は大学時代「刑事政策」という科目で、犯罪者の処遇について刑務所の在り方を含め学びました。「犯罪には、社会構成員としてのあなた自身にも責任がある。なぜ、その犯罪が起きたのか。その背景をつくっている社会の責任者の一人として、私は犯罪のない社会に向けた解決策を求め悩み続けたい」そう話された授業を思い出しました。

死刑を執行し、亡き者とすることで、問題は解決しません。なぜこの犯罪が起きたのか。どこかで歯止めをかけることはできなかったのか。未来に向けて同じような犯罪が二度と起きないために必要なことは何か。

これからも問題意識の一つとして解決を模索してゆきたいと考えています。

鈴鹿 久美子(すずか くみこ)株式会社InStyle代表取締役。

政策秘書として6人の国会議員に仕え、様々なタイプの選挙実務を経験。2012年の総選挙を前に政策秘書を辞職し、秘書と議員のマッチングを図る日本で唯一の議員秘書専門人材紹介会社「議員秘書ドットコム」を創立。議員秘書の人材紹介、議員秘書養成、国会議員や立候補者のコンサルティングに従事する。