今週の月曜日から、がん研究会・がんプレシジョン医療研究センター所長として勤務している。内閣府のプロジェクトもあり、自宅・内閣府・がん研究会のトライアングルの通勤はかなり体に堪える。シカゴと比較すると気温は少ししか変わらないが、この纏わりつくような湿気はかなり厳しいものがある。移動だけで、日に3時間も使い果たし、想像していたより過酷な日々だ。
しかし、懐かしい顔に出会うたびに、「頑張ってください」と言われ、自分の気持ちを奮い立たせるしかない。でも、少なからずの人に、「プレシジョン医療って、オーダーメイド医療とどこが違うのですか?」と聞かれると、答えに窮する。「同じような意味だけど、オバマ大統領には勝てないのです」としか、返事ができず、気持ちは凹んでくる。一市民の言葉など、米国大統領の前では無力だ。
20年以上前に「オーダーメイド医療」と命名した際に、築地から「オーダーメイドは英語ではないからテーラーメイド医療にすべきだ」と矢が飛んできた。一般の方にわかりやすい言葉にしたつもりだし、英語の話ではなくて日本語の問題なのだが、「嫌な奴はどんな理屈をつけてでも叩け」の精神だ。
日本で2番になってはいけない。世界で10番でも日本で1番でなければならない文化が根付いている。私など、テーラーメイドで背広など作ったことはないので、「テーラーメイド医療」は金持ちの受ける医療というイメージしか残らない。そもそも、オーダーメイドは患者のオーダーによって作り上げるが、テーラーメイドは「テーラー=医師」が中心だ。こんな気持ちでいるから、標準医療=すべての患者にベストな治療だという妄想がはびこっているのだ。世界と関係なく、どうでもいい面子が優先する変な国だ。
メディアもこの論争が面倒になってきたのか、お上に逆らわないという本能なのか、「個別化医療」という言葉に活路を見出し、私の「オーダーメイド医療」は死語にされてしまった。患者さんが主役だと言いつつ、「テーラーメイド医療」と言うのは、自己矛盾の塊だ。「テーラーメイド医療」のどこが患者中心なのか、私には全く理解不能だ。
とぼやいていたら、「頭に来てもアホとは戦うな!」という表題の本が目についた。思わず購入してしまったが、このタイトルを見ただけで、気持ちが安らいだような気がした。「何がわからないのか」をわからない人と話しても消耗戦になるだけで、気の弱い私など衰弱してくるに決まっている。赤い色のサングラスをかけている人に白い紙を見せても赤色にしか見えない。メガネを無理やり外せば、パワハラだ、暴力だと言われる。心優しい私には、そんな乱暴なことができるはずもない。
そして、私の戦う相手は「がん」だと自分に言い聞かせていた時に、10代の患者のお父様から感謝のメールが届いた。患者さんは死に直面した崖っぷちから回復しつつある。読んでいて涙が止まらなくなった。私が生きている間に、がん患者さんや家族に希望を提供するだけでなく、笑顔を取り戻す日が来るかもしれない。
日本人の3人に1人ががんで亡くなっているのだ。もっとまともな政策論争ができないものなのか!やればできることを、何故、しないのか、不思議の国アリスだ。野党は安倍内閣に対する倒閣しか頭にないようで、国会のワイドショー化が止まらない。これでいいのか、日本の政治は!
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のシカゴから戻った便り」2018年7月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。