トーマス・フリードマンが「遅刻してくれてありがとう」(日本経済新聞社)で書いているように、今日のテクノロジーの進歩のスピードは凄まじいものがある。
累乗的に進歩していくテクノロジーは、人間の適応能力を超えようとしている(既に超えている?)。
社会的に最も厄介な問題は、法規制がテクノロジーの進歩に付いていけないということだ。
先般、仮想通貨の払い戻し請求権を差し押さえたら、「二重払いの危険がある」という理由で拒絶されたというニュースが出ていた(その後の進展は知らないが…)。
民事法の分野であれば、既に存在する条文を類推適用するなどしてある程度まではカバーできる。
しかし、刑事法は刑事罰という甚大なサンクションを伴うため、法文は厳格に解釈しなければならない。
明らかに処罰すべき事案であっても、刑事罰を定めた法に該当しない限り処罰はできない。
新たなテクノロジーによって「法律の抜け穴」が次々と生まれてくる恐れが極めて高いのが今の時代だ。
民法の債権法の改正にあれだけの年月がかかったことを斟酌すると、今の法改正の手続ではテクノロジーの進歩に到底追いつかない。
どのように対処していけばいいのだろう?
法律による行政権への委任の範囲を広げて、的確かつ迅速な取り締まりを実施するという手もあるが、この手法は好ましくない。
行政の裁量の範囲を広げると、国会を唯一の立法機関とする憲法41条の趣旨を逸脱するし、民主的手続で選ばれていない行政官僚の権限が肥大化してしまう恐れがある。
これは、民主主義の自己否定と言っても過言ではない。
また、刑罰法規は前述したように厳格な解釈が必要とされるので、行政裁量の入り込む余地は極めて少ない。
やはり、王道は立法手続を迅速化することだ。
あくまで個人的見解だが、現行の二院制審議は不要で(憲法改正で)参議院を廃止すべきだと考えている。
大学生の頃からの一貫した考えなのでかれこれ何十年かに及ぶが、その間参議院のプラスの存在意義を見いだすことはなかった。
ねじれ国会になって法案が通らないという不具合ばかりが目立った。
また、政治的対立を法案審議に持ち込まないことも重要だ。
法案審議は、議論を法案審議だけに限定して行い、それ以外の質疑を禁止する。
法案審議以外で野党が政府の責任追及などの政治的対立を行う場合は、法案通過後に行うべきだ。
これは、法律改正で実現できる。
国会議員は、全国民を代表する「lawmaker」だから、与党も野党も関係なくまずは本来の法律制定という職務に専念すべきだ。
おそらく、一院制にして法案審議を迅速化してもテクノロジーの進化のスピードには追いつかない時代が間もなくやってくるだろう。
近い将来、成文法主義からの脱却をも視野に入れておく必要があると考える。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年7月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。