中年やベテランのぼくらは若手の先生とどう付き合っていくのか

岩瀬 直樹

6月に5泊6日のインタビューのワークショップにいってきました。

とても味わい深い時間だった。これからの足場になる時間でした。がんばって行ってよかった。

さて。

若い若いと思っていたぼくも,先日誕生日が来て48才。もう立派すぎるオジサンです。今までのように普通にフィードバックしていても、いつのまにか「ベテランに意見された・・・」と相手を萎縮させてしまうことも(涙)。自身の加齢と位置の変化を感じずにはいられません。

そんなぼくらは、若い方々とどう付き合っていけばよいのでしょうか。以前にある教育雑誌に書いた雑文をリライトして載せてみます。

若年化が進む学校現場

団塊世代の大量定年退職によって、学校現場では若い先生が増えています。ある市ではなんと毎年1000人規模で初任者が増えているそうです。学校を支えるミドル層(30・40代)が極端に少なく、大量の20代と50代といういびつな年齢構成になっている学校も少なくありません。今は都市部が中心ですが、これから地方にも同じ波がやってくるでしょう。大都市ではすでに担任の半分が20代なんていうことも起きています。教員経験5年未満で学年主任、なんてこともあるのです。

そんな中、ぼくたちはどのように若い先生の成長を支援すればよいのでしょうか。ここで考えたいことは「成長」は何も若い先生の問題だけではないということです。30〜40才の時期、つまり中堅(ミドル)の教員にとっても、まさに伸び盛りのとき。さまざまな経験を重ねてくる中で、さらに実践が変わっていくときです。

僕も30代後半から実践にイノベーションが起きました。

「若手の育成よりも、自分の成長のほうが先だ!」
「まだまだ自分の成長で精いっぱいで、若手の成長の支援どころじゃない」
「自分だって、まだ若手(のつもり)!」
なんて声も聞こえてきます。

確かにまだまだ自分のことを一生懸命やりたい時期。そう思うのは当たり前ですよね。若手の成長を促しつつ、自身も成長していくという2つの両立は可能なのでしょうか。

「教師の成長」って?

ここで「教師の成長」について考えてみたいと思います。教師の専門性は、かつて「技術的熟達者」として捉えられていました。簡単にいえば、いつでも適用できる教育技術や教育方法をたくさん身につけていくことで専門性を高めていくというモデルです。ぼくも若い頃ずっとそう思っていました。とてもわかりやすいモデルといえます。

それに対して、ドナルド・A・ショーンという研究者は、たくさんの技術や方法を身につけるだけでは専門性は高まらないぞ!と指摘しました。そもそも教室はそこにいる子どもたちや環境によって千差万別。ひとつとして「同じ教室」はありません市、毎年毎年違います。

ある教室で効果的だった方法がほかの教室でもまったく同じように効果的とは言えないのです。ですから、教師はその場や子どもに応じて工夫して実践し、その実践を振り返り、振り返りから気づいたことを活かして実践していくという「振り返り(省察)」を行うことで成長することが必要です。

このように「振り返り」を繰り返しながら成長していく専門家を、ショーンは「反省的実践者」と定義しました。

もちろん、「技術的熟達者」と「反省的実践者」は対立した関係ではありません。教師の成長には両方必要といえます。ただ、今まではあまりにも前者に焦点が当たり過ぎていた感があります。

技術や方法を学ぶのはもちろん、日々の実践を振り返り、そこから気づきを得て学ぶことを通して教師は成長していく、ということをぼくたちは知っておく必要があります。

言い換えると、「教師は経験を振り返り、次にいかしていくことによって成長する」ということです。このことを以降は「振り返り」ということにします。

先輩としての「私」はどんな存在か

若い先生の成長を支援するというのはどういうことでしょうか。ついついぼくたちはセンパイとして「技術や方法を教える」となりがちです。それってとても大切。でもそこに課題はないでしょうか??

若い先生とぼくら中年は「非対称」な関係であるという自覚が必要です。「若手に教える」というスタンスは、一方的に指導するという上下の関係になりがちで、時には説教に聞こえるかもしれません。「教える側」にそのつもりがなくても,「教わる側」はそう捉えてしまうかも知れません。しかし先ほど考えてきたように、これだけでは「技術的熟達者」の面しか見ていない若手支援です。教師の成長には「振り返り」が重要であることは先ほど確認しました。ですから、若手の成長を促すには、「よりよい振り返りができるように支援する」ことが重要になりそうです。

皆さんが若い頃、どんな先輩があなたの成長を促してくれたでしょうか?

ぼくも思い出してみます。ぼくの若い頃は、自分のやりたいようにやってみたい!」という気持ちを強くもっていました。ですから、「こうしたほうがよい」という一方的な指導には、正直反発を感じていました。説教されている感じがしたのです。かといって放って置かれるのもとても困りました。ぼくは生意気だったので仕方がありませんが……。

ぼくがしてほしかったこと、それは「話を聴いてほしい」でした。初任校にそんな先輩が1人いました。放課後、「岩瀬さん、今日クラスはどうだった?」とよく声をかけてくれました。うまくいったこと、困っていることをたくさん聴いてくれたうえで、うまくいった実践を意味づけてくれたり、困っていることには「明日はどうすればいいと思う?」と質問してくれたり、「こんな方法もあるよ」「この本読んでみたらどう?」とアドバイスしてくれる先輩。時には「私のクラスを見に来る?」と誘ってくれました。

ぼくが大失敗して愚痴ったときには、「私も若い頃そうだったよー。保護者に怒鳴られたりして大変だったよー」なんて昔話をしてくれたり。そんな話を聴いたときは「なんだ、みんな若い頃はそうだったのか」とホッとしたものです。今思えば、その先輩はボクに「振り返り」を促してくれていたのだなあと思います。もちろんその先輩は、技術の指導、例えば学級通信の書き方、保護者への電話の仕方なども,その時その時のリアルな場面で教えてくれました。技術的熟達も支えてくれてたんですね。そんなふうにさり気なく寄り添ってくれる先輩に、ぼくは一切の押しつけがましさや一方的な指導という感じをもちませんでした。前回の記事の先輩はまさにそんな先輩でした。僕のモデルです。

「自分の成長を支えてくれた先輩」はどんな先輩でしょうか? 僕は若手からどのような先輩に見えているでしょうか……。ちょっと自信がなくなります…言うは易く行うは難しです。昔の人はうまいこと言いました。

若い先生に対して振り返りを促す

では、具体的に若い先生の「振り返りを促す」ためにはどうすればよいかを考えてみましょう。
最終的な目標は「若手の先生自身が自分で振り返り、成長できるようになる」ことです。そのために最初は「伴走」して、徐々に任せていくイメージをもつことが必要です。ここでは具体例から考えてみましょう。経験から学ぶモデルに「経験学習サイクル」というものがあります(コルブの経験学習モデルをもとにしています)。

①具体的経験
まずは「具体的な経験」があります。これは日々の実践の中に起きていますね。

②振り返る
今日(あるいは今週)の実践の中で印象的なことを1つ挙げて振り返ってもらいましょう。
まずは具体的な場面の想起です。

今日、みんなで総当たりじゃんけん大会を開いたんです。名簿をもって、どんどんじゃんけんをしていくっていうゲームです。みんなに仲良くなってほしくて。そうしたらAくん、じゃんけんしてないのに、どんどん名簿に○をつけていくんですよ。

その行動がすごく気になっちゃって。しばらく様子を見ていると、「先生! オレこんなに○をつけたよ!」とうれしそうに報告に来たんです。私、つい「ズルしても楽しくないでしょ!」と注意したんです。そうしたら、「ズルしてねーし」と怒って、すねて出て行った。

そんなAくん、担任してからずっと算数の時間になると、まったくやろうとしないんです。声をかけても「どうせオレバカだし」、「やってみようよ」と声をかけても「やーだね。ぜってーできない」と伏せってしまうんですよね。

情景が浮かぶよう(動画モードで脳内再生できるよう)、できるだけ具体的に想起してもらうように促します。例えば、「Aくんって、いつもそうなの?」「なぜそんなにAくんが気になるの?」のようにです。具体的な経験を改めて2人で眺めてみます。若手の先生はこんなふうに振り返り始めました。

Aくんはいつも、ああいう感じなんですよね。前の学年でも、ああやってわがままを言うことがあったって聞きました。もう3年生で中学年だし、ズルは認めてはいけないって思うんです。もし認めると、ほかの子たちにも広がってしまうかもしれないですし。やっぱり公平性を大切にしなければ、マジメにやっている子がバカを見ると思うんです。

本人の振り返りはどうしても一面的になります。振り返りにはクセがあるのです(これは年齢や経験によりません。むしろ経験を積んだ方がクセが強くなりがちです。経験を絶対視してしまうのですよね。自省・・・猛省・・・)

似たような経験をしてきた先輩の先生は、Aくんを怒り続けても問題は解決しないことを知っています。Aくんにかかりきりになることで、ほかの子たちも落ち着かなくなっていくことも。

③(振り返りから)教訓を見つけ、選択肢を増やす
ですから、先輩としての役割は、「もっと違う見方がないだろうか」と促すことです。ここで「指導モード」にならないことがポイント。目標は「1人で振り返りができるようになること」です。自分で気づくチャンスをつくりたい。例えば、こんな質問はどうでしょうか?
「Aくんは、なんでズルしたんだろう? 先生にどうしてほしかったのかなあ」

ついつい自分視点になってしまう振り返りを、相手側(学習者側)から見てみる(視点の転換)質問です。

そうかあ、もしかしたらじゃんけんをしていないのに○をつけたのは、先に○をつけちゃえば、他の人に勝てると思ったのかもしれないな。他の人に勝ちたい、負けたくないという気持ちだったのかな。もしかしたら、ずっと怒られてきたAくんのしたかったことは「先生にほめられたい」。そういう意味ではモチベーションが高かったなあ。何で怒っちゃったのだろう……。

先輩はここで、「算数のときのやる気のなさも同じ感じなのかもしれないね」などと共感的に受け止められるといいなあ。算数のときのやる気のなさも、ほめられたいのにできないから、自己否定になっている可能性がありそうです。

このように気づきが生まれてきてから、自身の経験からアドバイスしてみてはどうでしょうか。

「できる・できない」が自分の価値を決めると思っている傾向があるのかもしれないね。私のクラスにも以前、できることには一生懸命だけれど、苦手なことには「それ嫌い!」と徹底してやろうとしない子がいたの。その子の根底にあるのは「認められたい」「承認されたい」だったんだよね。

ここで、「やらない子、ズルをしている子たちは、実は承認されたい」という教訓が共有でき始めました。では、これからどうすればよいでしょうか? 次に活かせる選択肢を検討します。

承認されたいということは、アプローチを変えなくちゃですね。まず何から実践したらいいでしょうか。Aくんにとって、やってみたらできたという小さな成功体験が必要ですね。いきなり算数では難しいし……、Aくんは生き物にとっても詳しいから、次の理科の単元で活躍できる場面をつくろうかな。教室の金魚の世話も手伝ってもらおうかな。

ここでようやく、選択肢を増やすために先輩から実践のアドバイスをしたり、具体的なスキルを伝えたり、関連する書籍などを紹介したりすると、本人にとっても学びになるでしょう。自身の気づきから得た学びの機会だからこそ、切実感と必然性が生まれます。このように次の選択肢を増やし、自身で選ぶことを支援する、こんなふうになるといいなあと思います。

④新しい状況に適用する
そして、実際に適用してみます。それを振り返り、そこから教訓を見つけ〜と振り返りのサイクルを回すことで,少しずつ対人援助職の専門家として成長していけるのです。
「やってみてどうだった?」とサイクルを回すきっかけづくりを続けます。

いかがだったでしょうか。この振り返りで学んだ教訓は、Aくんに限らず、他の子たちにも活かせる可能性も出てきました。振り返りから学ぶ、振り返りのサイクルを自分で回せるようになるために伴走しながら支援するのが先輩教師の役割です。その支援的なかかわりは、若い先生のモデルになり、彼らが年を重ねたときに若手を支援するときに役立つでしょう。

だがしかし、だがしかし(2回繰り返すのがミソ)。
これだけでは、ぼくら中年、ベテラン勢の「自分自身も成長したい」は満たせない感じがします。実はそんなことはないのです。振り返りの中での「教訓を引き出す」プロセスでは、共に考えることで、ぼくら自身が新たな気づきを得ることもあります。

2人ではどうにも解決できないときや、新たな選択肢を増やしたいとき、ぼくら自身も本を読んだり、学んだりしなくてはなりません。また、自身の実践からアドバイスするときに、普段、無意識でやっている実践を言語化することができます(実践知の言語化)。そのことで自身の実践を見直すこともできるチャンスになるわけです。

また、ぼくらも日々振り返りをし、若手の先生に共有し、意見をもらう、というのはいかがでしょうか。ぼくらもまだまだ道半ばです。

繰り返しになりますが、振り返りには1人ひとりクセがあります。経験を重ね、専門性が高まったからこそ視野が狭くなり、「思い込み」が増えている可能性が高いのです。しかし自分のクセは、自身では気づきにくいものです。そこで、若手の先生に意見をもらったり、質問したりしてもらうことで、自分の思い込みが明らかになり、新たな視点が生まれるかもしれません(unlearn =学びほぐし)。

過去の経験にしばられて成長していないのは、実はぼくら自身かもしれないのです。
自分自身の実践を見つめ直し、当たり前を問い直して、なお成長し続ける姿は、若手の先生にとって何よりの「学びのリソース」となるでしょう。

また、ぼくらはよほど意識していないと、なかなかアドバイスや助言をもらう機会がありません。そこで若い先生に日常的に授業を見てもらい、一緒に振り返りをしてはいかがでしょうか? 放課後、自身の実践について一緒に対話してもらうことで、自身の実践を見直す契機にできます。このように「謙虚に学び続ける先輩」の姿は、「若手の成長」にいちばん役立つことでしょう。そして何より、このようなアプローチは、職員室を「学び合う組織」へと成長させる可能性に開かれます。職員室全体でお互いの実践を交流したり、振り返りを促進し合ったりできる関係性が築かれていけば、自身の成長、若手の成長はもちろん、学校全体が成長していく、まさに《共育》の場となるのです。

「一方的に教える」を超えて共に成長する《共育》へ

若い先生の成長を支援することを通して、ぼくら中年、ベテランが成長していく《共育》について考えてきました。若い先生の「振り返り」の支援をすることで成長を促すことは、実はぼくら自身の「振り返り」の力を伸ばすことになります。どうすれば振り返りが深まるかを体験的に学ぶことができ、その学びから自身の振り返りも深まり、振り返りから学ぶ力が高まります。そしてそれは、教室で子どもたちが「振り返りから学ぶ」ことをデザインするときにも活かせる実践知です。

「一方的に若手に教える」を超えて、共に成長する《共育》へ。若い先生が増えていくからこそ大切にしていきたいものです。これは職員同士の学び合う文化の創造かもしれません。

人の成長に寄り添うって本当に本当に難しい。

自身を戒めるために、あらためて書いてみました。

一番大切なことは「私自身が学び続け、変わり続けること。自身の前提を問い直すこと」なのかもしれません。相手に望むよりまず自分。明日もがんばろう。


編集部より:このブログは一般社団法人「軽井沢風越学園」設立準備財団副理事長、岩瀬直樹氏のブログ「いわせんの仕事部屋」2018年7月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩瀬氏のブログをご覧ください。