刑事訴訟法には、「予断排除の原則」がある。
公判前に、裁判官や裁判員が被告人が有罪であるかのような「予断」を抱いてしまうのを防ぐため、起訴状一本主義が採用されている。
起訴状には、予断を抱かせるおそれのある書類等を添付したり、内容を引用してはならないと刑事訴訟法256条6項が定めている。
簡単に言ってしまえば、「白紙の状態」で刑事裁判の審理に臨み、法廷での証拠や証言に基づいて判断すべきだというのが「予断排除の原則」だ。
ところが、事件の容疑者が逮捕されて実名報道がなされると、各メディアが容疑者に関する情報を次々と流しているのが実情だ。
このような情報を見聞きしてしまうと、「白紙の状態」で公判廷に臨むことは極めて困難だ。
厳格な裁判官だと、自分が担当する事件の報道を自宅等でも一切見聞きしないよう努力をすると聞いたこともある。
しかし、裁判員候補者にそのような努力を強いるのは不可能だ。
メディアが独自で調査した情報であればやむを得ないが、警察や検察が記者クラブ等で身柄拘束中の被疑者の自白状況を発表するのは極めてアンフェアだ。
身柄拘束中の被疑者の自白内容は、捜査機関と弁護人しか知り得ない。
捜査機関が記者クラブ等を通じて小刻みに自白内容を伝えるのは、穿った見方をすれば、裁く側にわざと予断を持たせる目的があるかのように思える。
看護師が点滴に毒物を混入して多数を殺害したとされる事件では、自白内容が小刻みにメディアに報じられていたので、これらは捜査機関側の発表によるものだろう。
陪審員制度が利用されている米国では、陪審員に依頼者への好印象を植え付けるために「好感アップCM」まで打つ法律事務所があると聞いたことがある。
警察や検察による記者発表は、まさにこの逆で、市民に被疑者・被告人への悪印象を植え付けてしまっている。
職業裁判官だけが裁くのであれば、裁判官に前述したような厳格な態度を期待することもできるが、一般人である裁判員が報道内容によって心証形成されるのを防ぐことはできない。
刑事訴訟法の大原則である「予断排除の原則」を維持するためには、警察や検察のメディアへの情報提供を禁止すべきだと私は考える。
本来であれば、裁判員制度発足と同時に、一方当事者である検察に有利な情報の流布を禁止すべきだった。
今からでも遅くはない。
公判開始前の警察や検察による記者発表を禁止して、「予断排除の原則」を維持すべきだ。
メディア関係者諸氏も、公正な裁判実現のために是非とも理解を示して欲しい。
明日はあなた方が身柄拘束される側になるかもしれないのだから…。
編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年7月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。