政治家が国際的な舞台で活躍しようとしたときに、語学力は必須の条件ではない。たとえば、森喜朗とか二階俊博などは語学ができるわけでないが、各国の首脳と友好関係を上手に結んでいる。
しかし、首相ともなると、たとえば、サミットなどで雑談するようなときに、蚊帳の外と言うこともあるから、日常会話くらいはできたほうがよい。また、通訳を使うにしても、まったく分からないのと、だいたいは理解できるのと大違いだし、演説も外国語でできればそれに越したことはない。
もちろん、細部にわたるような交渉の時には、生半可な語学力で交渉するよりきちんと通訳を通した方がよいこともあるが、それは語学力の問題ではない。
そうしたわけで、かつては首相は語学力が必要という常識があった。そもそも、伊藤博文が初代首相になったときの理由に、英文電報が読めるくらいは必要だからというのがあった。伊藤は短期間だが英国留学しているので、四国艦隊の下関砲撃事件の時には高杉晋作の通訳をしているし、岩倉使節団の訪米にあっては、サンフランシスコで文明開化への決意を述べた「日の丸演説」をして喝采を浴びている。
そして、大正期から戦後しばらくまでの首相は、だいたい官僚か軍人であり、在外経験がある人も多かったので、そこそこできる人が多かった。
三角大中福についていえば、田中角栄はできないが、三木武夫はアメリカへの留学と長期の世界一周旅行で鍛えられていたし、福田赳夫は旧制一高でフランス語の大秀才だったし、英仏や南京での勤務経験もあったので、流暢に話せるかはともかく抜群の読み書き能力だった。
大平正芳ももともと英語の得意な学生だったし、戦後に蔵相秘書官をつとめたとき、GHQとの交渉もあったから、それなりだったし、中曽根康弘は、旧制静岡高校でフランス語を第一外国語とし、戦後は英会話力向上のために各国大使館のパーティーに出ては語学力を磨いた。
ところが、その後の時代になると、学生時代に秀才だった人がほとんどいなくなったので、語学力なんぞ顧みられなくなった。中曽根以降だと、一流のレベルだったのは、宮沢喜一と鳩山由紀夫、ついで麻生太郎で、細川護煕、小泉純一郎、福田康夫が少しだけというくらいだろう。
安倍首相は、学生時代にアメリカに留学しているし、神戸製鋼所時代にもニューヨーク勤務経験がある。といっても、修士を取ったとか、ビジネス最前線で活躍したわけではないが、日常会話には問題がなさそうだ。普段は通訳を使うが、いちおう分かることは意味がある。
英語の演説はなかなか立派だ。語学力の問題というよりは、日本語でも演説が上手だということの延長線上にある。「中学英語」という人もいるが、草稿は一流のスピーチライターが書いているからあり得ないし、発音など上手でないにしても問題はなく、悪く言う人は外国人政治家と語学についての知識がないだけだろう。
岸田は帰国子女・意外に高水準の小泉進次郎
それでは、ポスト安倍を狙う総裁候補たちについて見ると、通訳を使わなくとも問題がないのは、河野太郎、野田聖子、小泉進次郎あたり。茂木敏光もヒアリングには問題がないので通訳を断ることもあるようだし、話すのも英語で大丈夫だが、大臣としての発言などは慎重を期すために通訳を使うようだ。小野寺五典はアメリカで研修していたこともあり、通訳は使うが、そこそこは分かるようだ。小泉も安倍と同じく、日本語の演説の上手さの延長線上でかなりできると聞いている。
岸田文雄については、小学生のときに、通産官僚だった父がニューヨーク総領事館にいたので、アメリカのパブリック・スクールに入学。その後、開成高校、早稲田大学、長期信用銀行という経歴のなかで、とくに語学力を磨くということはなかったようだが、リンクを張ってあるジャーマン・マーシャル・ファンド(GMF)主催で開催された国際シンポジウム「ブリュッセルにおける日米欧フォーラム」での演説を見ると、流暢ではないが、発音などは帰国子女らしくきちんとしており、できるだけ英語でやるほうがよいというレベルだ。
オバマ大統領が広島を訪問したときなども、大統領と通訳抜きで案内などしているのが映っていた。
石破茂については、英語での演説をしたことはあるともいうが、あまり得意ではなさそうだ。
それ以外の政治家では、舛添要一は本物の語学の天才だ。小池百合子も日常会話や演説には問題あるまい。
いずれにせよ、語学ができるに越したことはないのだから、首相になりたければ、英語のレッスンくらい欠かさないようにしても罰は当たるまい。