第196回通常国会が7月22日に閉会となりました。いざ終わっての印象を振り返ると、与野党、さらには衆参両院を問わず言葉や立ち振る舞いの拙さが際立ちました。
議会が有権者の映し鏡であることを思うと、有権者の一人としても不甲斐ない思いに駆られます。
先月末ですが、私が所属する尾崎行雄記念財団が主宰する政治塾「咢堂塾(がくどうじゅく)」で憲政史に関する講義を行いました。
咢堂は「憲政の父」と呼ばれた尾崎行雄の雅号ですが、講義の中では1890年から現在までのおよそ130年近くの中から、今だからこそ学びたい政治家6人を採り上げました。さらにはその中から議会史の中でも1,2を争う名演説として、斎藤隆夫の支那事変処理に関する質問演説、いわゆる「反軍演説」を採り上げ、受講者で輪読するという試みを行いました。
斎藤隆夫は大正期から戦後期にかけて活躍した弁護士出身の衆議院議員です。所属した立憲民政党には「男子の本懐」で知られる濱口雄幸や、早稲田大学の大隈講堂で「天下一人を以て興る」と題した2時間半の大演説を行った中野正剛なども所属していました。
いわば「言論をもって戦う」政党であり、その舌鋒や論旨は、いずれも政党支持者のみならず、政敵や時の政府をも唸らせるほどの言論を繰り広げました。当時の国民にも多くの反響を呼んだことはいうまでもありません。
その斎藤を代表する「反軍演説」ですが、1940年(昭和15年)2月2日、第75回帝国議会において米内光政内閣に向けて放たれました。
全文では実に2時間近くの大演説ですので本稿では一部を採り上げるにとどめますが、斎藤は原稿を一切読むことなく、さらには一糸乱れず論旨も明確な演説であったと評されています。
世界の歴史は全く戦争の歴史である。現在世界の歴史から、戦争を取り除いたならば、残る何物があるか。そうして一たび戦争が起こりましたならば、もはや問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。
強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を贋懲する、これが戦争という意味でない。
力の伴わざるところの正義は弾丸なき大砲と同じことである。羊の正義論は狼の前には三文の値打もない。ヨーロッパの現状は幾多の実例を我々の前に示しているのであります。
かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。
これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。
事変以来、我が国民は実に従順であります。言論の圧迫に遭って国民的意思、国民的感情をも披瀝することが出来ない。ことに近年中央地方を通じて、全国に弥漫しておりますところのかの官僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々として政府の命令に服従する。政府の統制に服従するのは何がためであるか、一つは国を愛するためであります。また一つは政府が適当に事変を解決してくれるであろうことを期待しているがためである。
しかるにもし一朝この期待が裏切らるることがあったならばどうであるか、国民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある。しかもこのことが、国民が選挙し国民を代表し、国民的勢力を中心として解決せらるるならばなお忍ぶべしといえども、事実全く反対の場合が起こったとしたならば、国民は実に失望のどん底に蹴落とされるのであります。国を率いるところの政治家はここに目を着けなければならぬ
政党色に関して、まだ右も左もない。保守もリベラルもない。
当時の気骨ある政治家は「亡国か、それとも護国か」を時の政権に対して投げかけました。その一方で政敵への敬意も忘れず、感情に任せることなく、おのれの言葉を唯一かつ一番の武器に戦いました。
先ほど閉会した通常国会では、立憲民主党の枝野幸男代表が斎藤の反軍演説をゆうに凌ぐ2時間40分あまりの大演説をぶったと各メディアで報じられました。
その演説は政敵にこそ痛烈であったかも知れませんが、果たして背後にいる国民をどれだけ意識しながら発せられたものであっただろうか。
そこを改めて考えたいのです。
ともすれば「肥びしゃく(柄杓)を振り回す」かのごとき言葉は慎まれたほうがいい。自ら発した罵りの言葉が、演説の代名詞として語り継がれるようになったら目も当てられません。
野党だけではありません、議場の外では与党の杉田水脈議員が、LGBTの問題に関して見識を疑う論旨を展開したことがにわかに話題となっています。
真に有権者を背負っている自覚があるならば、発する言葉にも慎重さが伴うことでしょう。一言一句を、もっと大事にすることでしょう。そういう意味でも、政治家の皆様は大いに自らの言葉の重さを感じていただきたい。とりわけ衆議院議員の皆様は別名「代議士」と呼ばれることの意味をあらためて感じていただきたいと痛切に思います。
さて、斎藤隆夫は演説が原因となり、のちに除名の不当な処分を受けます。それでも演説が行われた後には全国から感謝や激励の手紙が数おおく寄せられました。
斎藤隆夫代議士よ、最後まで頑張れ。
貴殿の背後には示誠溢れる一億同胞が声援している事を忘れるな。
正義を以もって戦え。陸軍の迫害を恐れずに国民の言わんとする所を云ってくれ。
陸軍は横暴だ。軍部だけが戦争している様な顔をしている。支那事変は国民全部が戦っているのだ。
聞きたい事は残らず質問せよ。また来るべき帝国議会において生命のあらん限り国民のために不正な政府を攻撃してくれ。
除名される事が萬一あったならば、貴殿の削除されたる速記録を公開する様、懲罰委員会とやらに告げてくれ。国民は唯々それを知りたいのです。憂国の志士に栄光あらん事を祈る。 一中学生
良心の無いものが良心を裁く まことに珍風景です。一般国民の責任を深く恥じ入ります。
貴下の辞職拒否を、双手を挙げて歓迎する。衆議院が貴下を除名すれば、それは衆議院の自殺であり、貴下の放逐に依りて党を守らんとする民政党幹部を破滅の道に至らしめるであろう。民政党員
天晴れなる斎藤代議士、衷心感賞感謝す。我々国民の言わんとするところを言い。知らんとするところを質す、立憲政治の下言論の自由を弾圧する政府は国民の敵なり。大多数の国民は双手を挙げて、斎藤氏を支持する。
斎藤隆夫に宛てられた除名通知や激励の手紙の数々は、その原本が憲政記念館に展示されています。
言葉を研ぎ澄まし、戦うということはどういうことか。そして国民を背負うとはどういうことか。斎藤ゆかりの品々は、時を越えてそれを教えてくれます。
衆参を問わず、国会議員の方々は一度、現物をじかにご覧いただきたいと切に願います。
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高橋 大輔 一般財団法人尾崎行雄記念財団研究員。
政治の中心地・永田町1丁目1番地1号でわが国の政治の行方を憂いつつ、「憲政の父」と呼ばれる尾崎行雄はじめ憲政史で光り輝く議会人の再評価に明け暮れている。共編著に『人生の本舞台』(世論時報社)、尾崎財団発行『世界と議会』への寄稿多数。尾崎行雄記念財団公式サイト