過剰な延命治療には歯止めが必要

中村 仁

安楽死も法的な整備を

毎日、新聞の死亡記事のコーナーに目をやり、どんな人が何の病気で何歳で亡くなられたかを読んでいます。自分については、人生の終末期はまだ先だろうと、考えていました。それが最近、私の周辺で同程度の年齢で亡くなるか、癌にかかる友人が増えています。それも1年で計10人近くとなると、終末期医療に対する考え方を整理しておこうという気になってきました。

延命治療を拒否する尊厳死については、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(厚労省)はあっても、「尊厳死法」や尊厳死を規定する法律が日本にはない。難病患者の支援団体、障害者団体から「医療の提供を受けないと生きられない社会的弱者に死の自己決定を迫る恐れがあるという反対意見があるためという説を、作家の橋田壽賀子さんは自著の中で紹介しています。

すぐそのような反対が起きる日本は、結局、「もう死んでもいい」という段階になっても、なかなか死なせてもらえない国ということになります。団塊の世代が25年には、全て後期高齢者となり、終末期医療に対する考え方を整備すべきですね。

次々に亡くなる昔の仲間

知人の話に戻ります。亡くなられた1人は、同期入社で親しく、よく痛飲していました。血液癌にかかり、手術後、5年間、生き延びたので安心していましたら、ダメでした。もう1人は1年、先輩で、すい臓がんにかかり、「奇跡的に手術は成功した」と喜んでいましたら、結局、術後、2,3年で亡くなりました。そのほか、同業他社の仲間で、胃癌、血液癌で各1人が死去しました。

ごく最近、時事問題の放談会の飲み仲間が急に、「肝臓の数値が急激に悪化し、肝臓癌の疑いあるので、出席できない」と、連絡してきました。その直前、近所に住む大学時代の同級生が「3,4センチ大の肺癌が見つかり手術をした」と、知らせてくれました。もう1人は、肺癌の手術後、酸素ボンベが必携の延命装置となり、放談会はもう1年近く、欠席です。自分がいつ直撃を食うか分かりません。

寝たきりの患者(横浜の大口病院)を点滴殺害した容疑で、看護師が逮捕された事件をブログ(7月17日)に書きました。回復の見込みがなくなった終末期の患者に対し、延命治療を続ける意義を看護師が疑問視し、「もう面倒を見切れない」という心境に至った面もあろうという指摘もしました。

これを読んだ知人が、「私も妻も延命のためのチューブは不要です」とのコメントを寄せてきました。私も同感です。問題は「不要」だといっても、病院や施設側があっさり「はい、分かりました」とは、いわない。尊厳死と延命治療の関係、延命治療と安楽死の関係、延命治療の種類などを頭に入れ、生前から周囲に知らせておく必要があるようですね。

死生観に関する世論調査(15年、朝日新聞)によると、「自分は延命治療は希望しない」が81%の高率に達しました。私は世論調査のデータに同感です。各種のチューブを身体に結びつけ、回復の見込みもなく、後は死を待つばかりという選択はしたくありません。ただし、健全な判断力があるうちに、尊厳死、延命治療、安楽死について、意思表示をしておくべきことを知りました。

スイスにいくと安楽死できる

作家の橋田壽賀子さんが「安楽死で死なせて下さい」(文春新書、17年)を書いて、ベストセラーになりました。安楽死をさせてくれるスイスのある団体は「注射や点滴でなく、処方された致死量の麻酔薬を自分で飲む。コップの液体を飲み干すと、数分で眠りにつき、苦しむことなく、1時間ほどで呼吸が止まる」と、紹介しています。外国人でも受け入れてくれるといいます。

橋田さんの説明では、「安楽死は致死薬を処方してもらう積極的な安楽死、それに対して尊厳死は、延命治療を拒否することで死期を早める消極的な安楽死」です。日本では安楽死は違法ですから、医師が殺人罪で訴えられかねない。ですから、橋田さんは「日本でも安楽死を認める法律を作ってくれ」と、訴えています。スイス、オランダ、ベルギー、米国の6州などでは合法です。

末期癌の段階を迎えたら、痛みを除去するペイン・クリニックをお願いし、最期は延命治療の停止でいこうと、私は考えてきました。これも単純ではないようです。どんな痛み止めもすぐ効かなくなる。強力な麻薬に切り替えていく。それもいずれ限界点に達する。以前、「痛み止めで相当、頑張れるからあまり心配ない」という話を読んだことがあります。どうも違うようですね。

日本では、合法的とされる「延命治療の停止」でも、医師と患者・その家族との間ですれ違いが起きます。医師で、著書も多い志賀貢氏が「間違いだらけのご臨終」(角川新書)で実例を紹介しています。簡単に「延命治療の停止」をと、考えてはいけないと。

自然死にこだわる患者の家族がおりました。「何もしないでください。経管栄養も点滴も全部、やめて下さい。父もそれを望んでいるはずです。延命につながる処置は一切、しないで下さい」。志賀氏は反論します。「ここは患者さんを治療するところなので、全てするなと言われても困ります」。「延命治療の停止」をといっても、医師からすると、簡単な話ではないようです。

志賀氏は「日本の医療では、最低限の水分補給、栄養物の補給をするのは常識。脱水症や栄養失調の陥ったりする患者に何もしないわけにはいかない」と。「容態が悪化した時の治療をどこまでやるか患者側から聞いておかねばなりません。人口呼吸器の装着、気管の切開、肺炎を併発した際の抗生剤の使用など、細かい問題はいくらでもある」と、指摘します。

「末期の患者にこれだけの治療はしてあげたい」という最小限度の手当てを医師はするのだそうです。「末期になると体の血の巡りが悪くなり、自分のものとは思えないだるさ、不安に駆られる。一種の脳内麻薬を投与する」(急性循環不全防止)。「末期になると、感染症が発生し、肺炎、敗血症になりやすい。抗生剤を投与する」(感染症の予防と治療)。

そのほか、「吐血、下血、血行障害による出血に対する止血剤」、「腎機能の低下に対する利尿剤」など、いくつもの手当が必要です。延命治療だから全てを拒否するというわけにはいかない。以前、何かで読んだ「患者自身は意識が薄らいでいるので、家族が心配するほど、苦痛を感じていない」という話は事実と違うのでしょうね。日本はなぜか、尊厳死や安楽死の問題に正面から向き合おうとしないのです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年8月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。