「はなせば、わかる」
あえて、ひらがなでそう書いてみる。「話せば、分かる」と普通なら書きたくなる。しかし、社会の分断は進んでおり、人はそう簡単には分かりあえない。むしろ、分かりあっている風が怖い。会ってみると、それなりの憎めない空気が醸し出されたりして、何も批判できなくなるのが怖い。中には、会うことによって、ちゃんとアンチとも交流している風を装われたこともある。「話せば、分かる」とか「会えば、いい人だよ」というのは、単なる自分や仲間に対する言い訳であり、セルフブランディングの術でしかない。
現実的には・・・。
「離せば、分かる」
これが中年だ。老眼が進んでおり、離せば分かるのだ。あるいは裸眼で近づければ分かる。肝いりの新作を執筆中なのだけど、やる気満々なのにやや筆が遅いのは、老眼の影響も大きい。こんなの、始めて。文献を読むのが、辛い。まあ、頑張るのだけど。
News Picksによる「さよなら、おっさん。」というキャンペーンが賛否呼びつつもそれなりに話題になった。意識高い系というか、わかっていない系は「話題になったからいいだろ」と言うかもしれないが、あれは同サイトにとって致命的だったように思う。というのも、いかにも意識高い系が飛びつきそうな新しいサービスが、あぁ、昭和的な二項対立に未だにこだわっているのねという。あなたたちの、その決めつけた捉え方が古いよ。
というわけで、それなりにプラットフォームとして力を持っているのだろうけど、私はますますNews Picksとは距離を置くことにし。別にウェブ上の露出が減ろうとも、価値観の合わない人たちにわざわざ迎合するつもりはない。
それはそうと、NewsPicksに対抗するわけではなく、いや、彼らの「おっさん」の捉え方があまりに雑なので。「おっさん」を真面目に考えることにした。
まあ、最近、何かと「おっさん」は話題である。NewsPicksの件もそうだが、おっさん同士の「純愛」を描いたドラマ「おっさんずラブ」が話題になったり。各界でのおっさんの老害ぶりも、活躍も話題になる今日この頃。
「おっさん」が話題になる背景には、この言葉の持つ意味や印象が実に多様だからではないだろうか。「おっさん」という概念に関しても、肉体的、年齢的なものもあれば、精神的なものもあり、さらには社会的なものでもある。成熟度や熟練度を意味することすらある。「おっさん」は蔑称にも、愛称にもなりえる。実に不思議な概念、それが「おっさん」だ。
私の力だけではとてもじゃないが、整理しきれない。公開イベントで語り会うことにした。40代の論客5人が集まり、「おっさん」についてとことん議論するのだ。
フリーライター赤木智弘さん、育児・教育ジャナーリストおおたとしまささん、コラムニスト河崎環さん、社会学者田中俊之さん、若き老害こと私。豪華メンバーで縦横無尽に「おっさん」を語り明かすのだ。議論した結果は、なんらかのかたちで共有することにしよう。
8月14日(火)20時より下北沢B&Bにて。
赤木智弘×おおたとしまさ×河崎環×田中俊之×常見陽平 日本おっさんサミット「中年はどう生きるか?」
同日、津田大介さんや東洋経済オンライン山田編集長によるイベントがあったり、翌日は宮台真司さん、古谷経衡さんによる平成総括イベントもあるようだが、みんな、こっちにも注目なのだ。
よろしく!
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年8月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。