褒めているようで無神経な言葉たち

「褒めているようで無神経な言葉」というものがある。褒めている側には悪気はないし、褒められている側はやや傷つきながらも、まあ褒められているからいいかと思ってしまう。しかし、実は周りの人は傷ついていたりするし、この不幸な連鎖が止まらなくなる。

8月14日に開催された「日本おっさんサミット」で社会学者田中俊之先生が問題提起していた「女性のほうが賢い、優秀」という言葉が、実は人を傷つけているという話もそうだ。彼はその後、MXテレビ「モーニングCROSS」でも関連した発言をしている。ログが残っているので、参照して頂きたい。

「『女性のほうが賢い』は新たな女性らしさの押し付け」男女差別問題で社会学者が指摘「おじさんを叩いて批判した気になるのは危険」キャリコネニュース

認識や、それを言語化した褒め言葉が人を傷つけることがある。「女性は優秀」は規範の押し付けという側面があるし、自分が優秀ではないと認識している女性を傷つけることになる。男性も傷つく。さらには「女性は優秀」と「女性”なのに”優秀」はまったく別な話であるはずで。ただ、「女性は優秀」という言葉に後者のニュアンスが含まれていたとしたら、それは差別のような感情が混じっているわけで。

この手の表現は日常に、しかも悪気がない言葉として溢れている。黒人のスポーツ選手に対する「抜群の身体能力」という言い回しも、本人の努力を否定していたりするし、黒人で運動神経が悪い人、スポーツが苦手な人は傷つく。黒人と言えば「黒人ならではのリズム感覚」などという表現もそうだ。

要するに、ちゃんと個人をみて評価しろよという話と、褒めているようで差別の感情があるとたちが悪いなという話。さらには、それが規範や「らしさ」のおしつけになっていたら、息苦しいということ。うん。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年8月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。