藤掛病院と大口病院の共通点
岐阜市の老人病院でエアコンの故障による熱中症で5人、それに先立ち、横浜の老人病院では看護師による毒物点滴で複数の死者がでています。亡くなられたのはいづれも80歳代の寝たきりの患者です。共通点があるとすれば、老人病院が「寝たきり老人の姥捨て山」と化している疑いです。
恐らくこの2件は氷山の一角で、現代の姥捨て山は全国各地に存在していると、考えても仕方がありません。病院が警察にも届けず、病死として遺体を火葬場に早々に回してしまったケースも多いでしょう。団塊の世代が後期高齢者になり、高齢化がもっと進むことを考えれば、この問題をタブー視しないで、政府は関係省庁を動員して、全国調査し、対応に取り組むことです。
大口病院の場合は、何年か前にも不自然な死に方をした患者が相当数、おられたらしいとの情報がメディアに流れました。確証が取れず、結局、続報はなく、女性看護師が自供した3人程度の殺害事件にとどまっています。岐阜市の場合も、表面化した数以上の死者がいただろうと想像されます。
岐阜市の藤掛病院の院長挨拶文には「入院の患者様はご高齢の方が多く、本院が終(つい)のすみかとなられることが多い」と記載されているそうです(読売新聞、29日)。寝たきりの老人を看取る施設であることを率直に認め、家族に誘いをかけている。誠意を持って看取るならともかく、今回のように、エアコンの故障を放置し、熱中症が死因になったとすれば、まるで「姥捨て山」です。
寝たきりを生む社会構造
大口病院の場合は、看護師の殺意の解明が進んでいますし、藤掛病院の場合は、警察や県・市が捜査、調査に乗り出し、警察に対する報告義務違反(業務上過失致死容疑)、管理体制の是非を調べ始めています。「入院患者であれば、1日に数回、体温などを確認するはずだ。管理体制に疑問がある」(日経29日)などというレベル以上に、問題の根は深く、そこを掘り下げる必要があると、思います。
看護師に自供を迫ったり、院長の無責任さや怠慢を責めたりして、事件は落着したと思っていると、姥捨て山事件は手を変え、形を変え、途絶えることなく続発します。なにしろ寝たきり老人は2025年には230万人にのぼると推定されています。家族の介護に限界があり、次々に寝たきり老人が病院や施設に運びこまれても、ベッドも介護師も看護師も足りません。
意図しない結果としてか、あるいは受け入れの回転率をよくする計算があってか、どちらかにしても、80歳、90歳代の寝たきり老人には、岐阜や横浜の病院におけるような運命、つまり姥捨て山が待っているのかもしれないのです。故意か寿命が尽きたのか曖昧ではあっても、姥捨て山は存在する。
では、どうしたらよいのか。寝たきり老人問題の専門家が様々な主張をしています。「一度、寝たきりにすると、体力、筋力がどんどん衰え、結局、1人で何もできなくなってしまう」、「加齢、病気、活動不足、栄養不足を招き、寝たきりの悪循環から脱出できなくなる」、「多くの場合、ベッド上の長い期間の安静は有害である」、「リハビリが不可欠である」などなど。
寝たきり1週間で本当の寝たきりに
作家の阿川佐和子さんとの共著で、老人医療の先駆者でもある大塚宣夫さん(慶友病院)は、「周囲人が全て手を差し伸べるのはダメ」、「施設に任せきりはダメ」、「結局、1人で何もできない存在になってしまう」と、警告しています。「点滴を始め、できるだけ動かさないように寝かせておくと、本当に寝たきりになってしまう」。勿論、重病、急病、事故の場合は別です。
「必要以上の延命治療はしないことです。痛むとか辛いとかいうときは、苦痛を取り除くことは構わない」と、大塚さんは主張します。「ここで点滴をしなかったら、あと1週間は余命が持たないという時はどうするか」。「自分の親だったら点滴を断ります。それが自分だったら点滴をしてもらいたくない、と思います」。こう言って、家族自身による決断を促すのだそうです。
家族としては、病院や施設にお年寄りを送り込んだから、もう安心とはいかない。病院や施設に頼りきることが、寝たきり老人を増やす結果を招く。それが大きな社会的なコストなる。
よく引き合いに出されてのが、欧州の高齢者施設のケースです。例えば、食べてもらうために、食事を食べやすい形にカットする。それでも本人が呑み込めなくなったら、それ以上は対処しない。日本と比べ、寝たきり老人を見かけないのは、そのためだといいます。寝たきりになる前に亡くなっていく。そのことを、社会が是としているからでしょう。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年8月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。