ども宇佐美です。
前回、前々回に引き続きパチンコネタです。
今回はパチンコと北朝鮮の関係について。
前々回書いた通り、パチンコ業界は歴史的経緯もあって在日資本が多い業界です。
在日韓国人にしろ、在日朝鮮人にしろ、そのアイデンティティは複雑です。なのでこの辺の問題はさらっと経緯を述べるのみにしますが、太平洋戦争終了時に日本に在住していた朝鮮半島出身の方々は、(少なくとも国籍上は)日本人であったものが、戦後の民族解放という流れの中で朝鮮人として扱われるようになり、帰国するか、もしくは、日本に残るか選択が迫られました。(一部には戦後渡航したという方々もいます)
ここで日本に残る選択をした方々がいわゆる在日韓国・朝鮮人の一世なわけですが、祖国解放・独立を経験し、なおかつ親族の多くが本国に残っていた彼らのアイデンティティは当然にして日本よりも韓国、北朝鮮に向いていました。そのため、日本にいながらも祖国の発展に貢献したいという思いが強く、戦後しばらくすると、それは本国への送金という形で表に現れます。
この時在日韓国人の方々は公式なルートで本国へ送金なり投資をすればよかったのですが、日本と国交のない北朝鮮側にアイデンティティを求めていた人はそうはいきませんでした。そのため彼らの代弁者たる朝鮮総連が、不正な送金ルートを開発していきます。その代表がかつて日本と北朝鮮の交易船としての役割を果たしていた「万景峰号」で在日朝鮮人から集めた数十億円単位の資金を現金で北朝鮮で送るということが繰り返されていました。
このように当初パチンコ業界と北朝鮮の関係というのは、朝鮮総連を介した間接的なものでした。朝鮮総連は、在日朝鮮人の歌劇団である金剛山歌劇団の公演を全国各地で行い、その公演開催に対する寄付やチケットという形式で在日商工団体から資金を集め、その資金を万景峰号をとおして北朝鮮に送金していました。そしてそのお金のかなりの部分はパチンコを通して稼がれたものであった、という関係です。なお在日韓国人系の団体である民団は必ずしも大韓民国政府の傘下にあるわけではありませんが、朝鮮総連は北朝鮮政府の完全な従属団体です。
話を戻しますと、北朝鮮へ寄付する在日朝鮮人も、商売人なだけあって祖国愛だけで多額の寄付をするというわけではありませんでした。朝鮮総連は地方自治体や日本政府に対して恫喝を繰り返すことで、在日朝鮮人の経営する企業が脱税しやすい環境を作り出して、本国への送金の原資を作り出すことに貢献していたのです。平沢勝栄議員は著書「警察官僚が見た『日本の警察』」でその辺の事情を以下のように記しています。
家族や親類を北朝鮮に残して日本に来たものにとって「祖国に送金しろ」という命令には逆らえない。身内を人質に取られているようなものだからだ。パチンコ業者の中には、かつて一人で数十億円も寄付した者までいた。昔は、1億円以上寄付したものには全員勲章が与えられ、名前が北朝鮮関係の雑誌に出た。祖国に貢献した人々として、パチンコ業者の名がズラーッと雑誌のページに並んでいたのである。
北朝鮮系のパチンコ店に対しては、国税の取り立ても甘かった。かつて国税局が北朝鮮系のパチンコ店に査察で入ったとき、朝鮮総連がその国税局に、デモ隊を組織して批判のシュプレヒコールをあげたことがあった。この一件で、国税局はすっかり怖じ気付いてしまったからだ。そして、北朝鮮系の店舗の税金問題は、必ず朝鮮総連系の在日朝鮮人商工連合会に相談するという約束まで交わしてしまったのことである。
北朝鮮の組織としては
「北朝鮮系のパチンコ店は、我々のおかげでいくらでも金がごまかせるようになったじゃないか。そのごまかした金を我々に送ればいいだろう」
という論法で、パチンコ業者に催促していると聞いた。
このような背景もあり戦後ながらくパチンコ業界は脱税業種No1といわれており、その脱税された資金が北朝鮮に送られている、という構造がありました。この金額は年間数百億円と言われており、おそらくはその資金の一部が核兵器の開発に使われたと目されています。これは日本としては由々しき事態ですが、だからと言って在日朝鮮人のパチンコ店の経営者は人質を取られていた状態で他の選択肢もなかったので、彼らだけを責めても解決になりません。
このように在日1世の時代はパチンコと北朝鮮の関係は朝鮮総連を介した間接的なものでしたが、これが在日2世の時代になると変わって来ます。本国への関わりをほとんど持たない北朝鮮系の在日2世の多くは1世とは異なり、民族としては朝鮮に、社会としては日本に帰属意識を持つようになりました。その結果、徐々に本国への寄付金は減少し始めます。こうなると朝鮮総連は1980年代後半から自らパチンコ店経営に乗り出します。
これを仕切ったのが当時総連中央財政局第二副部長だった韓光煕(ハン・グァンヒ)でその辺の事情は著書で詳細に記しています。まずは人材育成から入ったようで、朝鮮大学校の優秀な学生をひっぱって来て在日朝鮮人のパチンコ店経営者などの専門家を招いたセミナーで座学を行い、現地研修で実務を覚えさせて優秀な店長を次々と育てていったそうです。ホールの立地については幹部自ら土地選定を行い、地価の安い郊外に用地を確保して、次々と全国に大型ホールを建設していきました。戦略的ですね。第一号として建設されたのは山形県の「パチンコ・ジャンボセブン(現在はパーラー国際新庄)」で、このホールはまだ営業しているようです。(まだ朝鮮総連が運営しているのかどうかは未確認です。)
こうして在日二世の時代になるとパチンコと北朝鮮の関係はより直接的になり、朝鮮総連がパチンコホールを運営し、脱税し、その利益が北朝鮮に送金される、という構図になります。
このように北朝鮮とパチンコ業界の関係はかつては非常に深いものだったのですが、現在では大きく環境が変化し、こうした構図はだいぶ廃れて来ています。そもそも万景峰号はもう日本に来てませんしね。その辺の事情についてはまた次回まとめたいと思います。
ではでは今回はこの辺で。
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編集部より:このブログは「宇佐美典也のblog」2018年9月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のblogをご覧ください。