日中韓いずれの民族も最初と違う人種に変化した(特別寄稿)

八幡 和郎

SNSの世界で、古代史の議論ほど白熱するものはなく、すぐに汚い言葉や人格攻撃に至る。先日も、ちょっと、ある古代史愛好家グループでの議論にコメントして酷い目にあった。

とくに、日本人はどこから来たかといった議論をすると、冷静な議論などまったく期待できない。そのなかでも、とくに、激しい議論をされるのが、日本人の先祖のほとんどは、縄文人だという人たちで、もうひとつが、天皇家など日本の支配層は半島人だという「偽リベラル」系の人たちだ。

後者には、小沢一郎とかいう人も含まれていて、韓国での講演で天皇家は半島から来たとリップサービスされている。

私は日本人の主流は中国の江南地方から来た稲作農民だという説だが、これは、保守派からも偽リベラル・極左系の人にも評判が悪い。民族とはなんであるかしばしば誤解があるが、基本的には言語集団である。しかし、漢民族とか日本民族という一貫したDNA集団が連続して存在してきたのではない。DNA的には、かなり急速に入れ替わりがあるからだ。

そのあたりを『中国と日本がわかる最強の中国史』 (扶桑社新書) でいろいろ論じたので、アゴラの読者にも紹介しておきたいと思う。

言語の成り立ちからみた日本人、韓国人、中国人の違い

私が思うに、日本語、韓国語、中国語のいずれをとっても、その言語を生み出した人たちの人種と、現在の日本人、韓国人、中国人はまったく違ったものだと思う。

日本語は、縄文時代である数千年前に北方系の文法と太平洋方面の言葉の単語が融合してできたようである。しかし、DNA的には2000年余り前から主に中国から流入した弥生人が7割とか8割を占めているとみた方が良さそうだ。

韓国語と日本語は数千年前に共通の先祖を持つというが、韓国語を生み出した人たちがどんな人たちかまったく見当は付かない。現代の朝鮮語の直接の先祖は新羅語らしいが、新羅は伝説においても紀元前後にできたミニ国家が始まりだし、それなりの勢力になったのは、4世紀以降だ。

新羅を含む辰韓の共通語があったかも分からないし、その辰韓の人が5000年前にどこにいたかなど分かりそうもない。したがって、日本語と韓国語が分かれたのが、満州でなのか、半島でなのか、日本でなのか不明である。

また、高麗も李氏朝鮮もいまの北朝鮮と満州にまたがる地域から出ていたりするから、現代の韓国人はかなり北方的に変容しているはずだ。

中国語は、タイ語やチベット語と同じ系統に属す南方的な言語だ。なかば伝説上の存在である夏王朝はかなり南方的な雰囲気があるし、中国の建国神話はタイなどに似ているが、それ以降の王朝のほとんどは北方を中心とした周辺民族出身であるし、現代の中国人の先祖は漢とか唐の時代とはかなり組成が違うはずだ。

つまり、日本人も、韓国人も、中国人も、その言語を生み出した人たちとは違う人種なのだ。

日本人の先祖は縄文人?中国人は北京原人の子孫?

縄文人の復元模型(国立歴史民俗博物館蔵、Wikipediaより:編集部)

ちなみに、日本人の先祖の主流は縄文人だとなお言い張る人もいるが、それはおかしいと思う。まず、よくいわれるように、南九州と東北・北海道には、縄文人的特質がたしかに強く、北九州から関西にかけてはとくに弥生人的だというのはなぜなのか。縄文人が農業を習得したのが主流ならそうはならない。

それから、平安時代の新撰姓氏録では、20%以上の氏族が諸蕃(帰化人)、つまり、統一国家成立以降の渡来人だとしている。まさか、統一国家成立以降になってそれまでなかった移民が急に増えたはずあるまい。私は、日本人を縄文人、弥生人、帰化人が25%、55%、20%くらいでないかと思っている。

中国人の先祖については、かつては、北京原人がそうだと信じられてきた。頭蓋骨が北京郊外にある周口店の洞窟から見つかったもので、50万年以上前のものだと推定された。ただ日中戦争の混乱で紛失してしまいって行方は謎のままだ。

しかし、いまでは、彼らの子孫は滅びて、数万年前にアフリカからアラビア半島に渡ってきた集団が3万年ほど前に中国からシベリアにまで広がり、その子孫だとされている。そして寒冷期になると南に移ったのだが、一部、バイカル湖周辺に閉じ込められた集団があった。

彼らは寒さに強い小さな眼、低い鼻、薄い体毛などの特質を持つようになり、また、家畜に由来するインフルエンザなどのウィルスにも強くなった。彼らを新モンゴロイドというのだが、地球が暖かくなると南下し、それが黄河文明の主役になり、現在の中国人の先祖の主流だといわれる。

しかし、中国原住民ともいえる南方系の人々も、その一部はタイなどに移ったとしても、新モンゴロイドと混血して中国人の一部を構成しているはずであるし、中国語のルールは彼らのものだったのではないか。

遺跡、文字…文明史からの視点

新石器時代の遺跡として、赤地に彩色した土器である彩陶を特色とする河南省仰韶村の遺跡や、黒陶を特色とする山東省章丘市龍山鎮の遺跡がすでに戦前に発見されており、それぞれ6000年前、4500年ほど前と推定されている。

漢字の原初とされる甲骨文字(Wikipediaより)

また、長江流域で黄河流域に負けない古い遺跡が出て黄河文明に対抗する長江文明だと話題になった。ただ、最近では黄河と長江の二つの文化圏というほど対立的なものではないという人が多くなっているが、そのかわり、黄河流域が先進地域とは言い切れなくなっている。

彼らは、漢字を発明した。たしかなのは、殷の時代だ。4000年足らず前だ。ただし、夏の時代に漢字のもとになった表意文字らしきものがあったような節もある。夏は、4000年あまり前に建国され、4000年前足らず前に滅びた王朝だ。

そして、周の時代になって複雑な文章が書かれるようになった。この周の時代の後期を春秋戦国時代といい、この時代に弥生人たちが、稲作技術とともに、山東半島から朝鮮半島の沿岸経由で日本列島にやってきた。

ただし、大規模な民族移動とか征服でなかったので、彼らは縄文人たちの言語を使うようになったようだ。在日朝鮮人だって二世代くらいもたてば韓国語は使わないし、アメリカへの移民でも同様だ。それと同じである。

中国と日本がわかる最強の中国史 (扶桑社新書)
八幡 和郎
扶桑社
2018-09-04