日本癌学会は今日で3日間の日程を終えた。1日目の午前–正午にかけての内閣府での会議に参加しなければならず、結局2日間の出席となった。わずか、5分のプレゼンであったが、1日間を費やしてしまった。この機会にいろいろな人と会う約束があったのが、3日間の予定を2日間に詰め込んだため、慌ただしい2日間だった。宮仕えは辛いものだ。
そして、今日のランチョンセミナーでは、シカゴ大学の教授が講演をした。多発性骨髄腫に関する講演だったが、かつては死の病だったこの病気も有効な治療薬が開発されたため、生存率は格段に良くなった。新しいCAR-T細胞療法も驚異的な臨床効果を示していた。費用対効果に関する質問に対して、「アカデミアの責任はがんを治すことだ」と答えていた。日本に戻って3か月だが、この言葉が斬新と思えるようになってきたのは、悲しいことだ。
「がんをよく知ることから、がんの制圧が可能になる」のは確実だが、このキャッチコピーを言い始めてから数十年の時が経っている。現実には、「がんを調べることで、論文を書き、研究費を継続して獲得する」ことが目的になっていないかどうか、自らを振り返る必要がないのかと疑問でならない。20年以上も前から、「基礎研究では成果を挙げているが、日本では応用にはつながらない」と、責任を仕組み・制度に転嫁しているが、本当にそれでいいのだろうか?
日本に戻って、多くの人から「なかなか研究費がとれないので、研究ができない」とため息交じりの嘆きを聞かされた。AMEDは機能していないし、不公正で、不公平だとも聞かされた。評価する人たちを評価する仕組みができていない現状は悲劇的だ。しかし、不満を言っても、愚痴を言っても、患者さんは救えない。私のような単細胞は、制度がおかしければ、大きな声で批判し、変革すればいいと思う。しかし、批判すると永遠に研究費はもらえなくなると声もあげられない姿は滑稽に映る。
がん研究は、研究者のための研究ではなく、がんで困っている人たちのための研究だ。がんの克服を目指した情熱がなければ、何も変わらないと思うのだが、信念で物事を言わないから気持ちも伝わらないのだ。ルールが正しいと思うなら、黙って従うべきだし、ルールが間違っていると思っているなら、変える努力をすればいい。
自分の明日の糧のために、研究費を求めるのではなく、日本の将来のために、がんを制圧するために研究費を求めて欲しい。「自分の研究こそ、がん患者さんに笑顔を取り戻すはずだ」、そんな主張を声を張り上げて語れる若者が出てくることを願ってやまない。
次回の一般の方向けの講演会は10月9日午後2時から、東京大学の医科学研究所(白金台)で行う。時間のゆとりのある方は、是非、参加して欲しい。体は歳と共に弱り、頭の働きも遅くなったが、「がんの治癒を目指す」気概だけは若者には負けない。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2018年9月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。