輪島大士とゴールデンアームボンバーの思い出

常見 陽平


輪島大士が亡くなった。70歳だったという。正直、もっと年上だと思っていた。合掌。

力士時代の輪島は、ほぼ知らない。私にとっての輪島大士とは、プロレスラー輪島大士である。あの黄色いパンツで、馬場とタッグを組んでいた頃の輪島大士である。

相撲出身のプロレスラー、しかも、横綱まで経験したクラスの人がプロレスに参戦するのは、それなりの事情があったりする。ターミネーター風の衣装で東京ドームデビュー戦を行い、ロープに飛ぶ方向を間違い、その後のSWSで「八百長野郎」と叫んだ北尾もそうだった。多くは語らない。

輪島は奮起するかと思ったが、基本は不甲斐なく。必殺技のゴールデンアームボンバーも謎の技だった。強さをまるで感じない。相手が一生懸命協力しているかのように見える様子が痛かった。

あっという間にプロレス界から消えた輪島だが、微力のようで、無力ではなかった。逆に、輪島がしょっぱかったがゆえに、他のレスラーが奮起した。天龍源一郎(引退)の痛みが伝わるプロレスも、輪島がいないと進化、深化しなかったのではないか。そして、同じく角界出身の田上明(引退)の必殺技、喉輪落としも、輪島のゴールデンアームボンバーの反省が活きているのではないかと。

北尾も、「八百長野郎!」と叫んだことで、ヒール化し。高田延彦はUインター時代に北尾をハイキックでノックアウトして、人気を決定づけたが、ある意味、北尾がしょっぱかったことにより、恩恵を得ていなかったか。

相撲出身レスラーもだいぶ目立たない今日このごろである。ただ、輪島大士がプロレスにいた数年は、業界にとっても、本人にとっても決して無駄じゃなかったと思うのだ。

合掌。


編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2018年10月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。