『酔いどれ天使』『赤ひげ』黒澤映画から考える医者の姿

『生きる』(1952年、東宝)を見てから、黒澤明監督すごい!と思っています。今度は、『酔いどれ天使』(1948年、東宝)『赤ひげ』(1965年、東宝)を観ました。

闇市を支配する若いやくざと、貧乏な酔いどれ中年医者とのぶつかり合いを描いた『酔いどれ天使』。

小石川診療所に集まった貧しく病む者とそこで懸命に治療する医者との交流を描いた『赤ひげ』。

どちらも、とてもメッセージ性にあふれた映画です。

人間の一生で臨終ほど荘厳なものはない。

無知と貧困は、最も深い苦しみだ。

病気の影には、いつも人間の恐ろしい不幸が隠れている。

肺を奇麗にするだけではダメだ。人間関係を綺麗にしなければ

私は医者だ。病人がいれば来る。

一貫するのは、医者は病気を治療するだけでなく、人生を諦めかけている患者に粘り強く働きかけ、生きる希望を与え、その背後にある問題も解決しようとする姿勢。患者の自宅にも足繁く通います。

これから、AIや機械などがますます普及することに伴い、定型的な画像診断や手術などはそれらが大部分を担うようになるのでしょうが、そのとき、医者に求められるのは、まさにこうした姿勢ではないでしょうか。

モノクロ映画ですが、AI時代にも色褪せない内容です。
皆様もぜひ!

もう少し知りたい!
助役も課長も経験した僕の「生きる」論

<井上貴至 プロフィール>


編集部より:この記事は、井上貴至氏のブログ 2018年10月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は井上氏のブログ『井上貴至の地域づくりは楽しい』をご覧ください。