黒澤明監督の「生きる」(1952年、東宝)を見ました。
きっかけは、スタンフォード大学の友人に勧められたから。
黒澤明監督の名前はもちろん知っていましたし、黒澤明監督が、スティーブン・スピルバーグ監督やジョージ・ルーカス監督を始め世界中に影響を与えたことも”知識として”知っていましたが、これまで映画そのものを通して見たことがなく、いい機会だと思いました。
白黒映画の良さ
当時は、白黒映画でCG技術もないからこそ、ワンシーンワンシーンの役者の表情、間、音楽は素晴らしいものがあります。志村喬演じる市民課長・渡邊勘治の背中を丸めて疲れ果てた様子、それでもやり遂げる眼の力。お通夜の回想シーン、そして、最後のブランコに揺られながら、「いのち短し、恋せよ乙女よ」(ゴンドラの唄)と歌うのは、やはり圧巻。
展開も、素晴らしかったです。
胃がんで余命数か月と気づき、放心し、遊び回った後に、最後の仕事として住民待望の公園を作ろうとする市民課長・渡邊勘治が市役所を一歩出た次のシーン。現場で奮闘するのかと思いきや、いきなりお通夜の場面に。こういう意外性にも惹きこまれます。
生きるということ
自分の死を意識するからこそ、生きるということを実感します。
「毎朝必ず鏡を見て、”今日が人生最後の日だとしよう。自分が今日やろうとしていることは、果たして自分のしたいことだろうか?”と自問する。答えが”NO”の日が続けば、何かを変える必要があると悟った。」というスティーブジョブズ氏のスタンフォード大学のスピーチを思い出しました。
というよりは、スティーブジョブズ氏も黒澤明監督から大きな影響を受けたのでしょう。
お役所仕事の原因と解決策
お通夜の回想シーンの中で、市役所の縦割りを超えて、さまざまな部署と粘り強く調整し、市民待望の公園を建設した市民課長・渡邊勘治について列席した市役所の職員たちが讃えながら、その翌日には、これまでどおりの縦割り・たらい回しに戻る姿は、とても印象に残ります。
だからこそ、いつもの持論ですが、個人の善意ややる気だけではなく、それが生かされる制度や風土が大切だと改めて考えました。長島町時代に昇華した、ボトルアップとトップダウンの融合、ルーティンワークを持たない調整役のNO.2がとても大切なわけです。
コンテンツがあふれる時代。時の流れを経てなお語り継がれるものはやはり素晴らしい。皆さんも、ぜひ見てください。
<井上貴至 プロフィール>
編集部より:この記事は、井上貴至氏のブログ 2018年8月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は井上氏のブログ『井上貴至の地域づくりは楽しい』をご覧ください。