中絶発言の波紋:フランシスコ法王は革命家ではない

世界に約13億人の信者の抱えるローマ・カトリック教会の最高指導者ローマ法王フランシスコは10日、バチカンのサンピエトロ広場の一般謁見の場で、「妊娠中絶は殺人請負人を雇うことと同じだ」と発言した。その発言が報じられると、教会内外で大きな波紋が生じた。

韓国の文在寅大統領とフランシスコ法王(2018年10月18日、バチカンで、韓国大統領府公式サイトから)

カトリック教会の教義からいえば、フランシスコ法王の発言内容は新しくない。教会は中絶には強く反対してきたからだ。フランシスコ法王が中絶を認める発言をしたというのならば、それこそ爆弾発言だが、そうではないのだから驚きに値しないとしても、発言表現が過激すぎて、聞く者に衝撃を与えることは事実だろう。

中絶をせざるを得ない女性たちに向かって「あなた方は殺人請負人を雇うのと同じだ」といったのだ。女性の権利擁護グループでなくても、「法王さん、それは少し言い過ぎではないですか」といった反発の声が上がってきても不思議でない。

ドイツ公営放送ARDは14日(日曜日)の討論番組でローマ法王の中絶発言をテーマにしていた。番組の参加者の一人が、「カトリック教会で聖職者の未成年者への性的虐待が頻繁に起きている。教会はそれを隠蔽してきた。その頂点に立つローマ法王には倫理やモラルについて語る資格はもはやない」と厳しい発言していたのが印象的だった。オーストリア日刊紙プレッセ(10月19日付)はローマ法王の発言に対し、プロ・コントラ(肯定と否定)の論評を掲載していた。

南米出身のローマ法王フランシスコを改革派法王と受け取り、教会の抜本的な刷新を期待している信者たちにとって、法王の中絶発言はショックだろう。フランシスコ法王の発言は教会の2000年のドグマを繰り返しただけだ。表現は過激だが、内容は教会のドグマの繰り返しだ。

そもそもペテロの後継者の立場にあるローマ法王にアンチ・ドグマを期待する方が間違っている。ローマ法王はイエスの教えを述べ、それを堅持していくべき立場だ。そのローマ法王にそれ以外のことを願えば、失望は避けられない。

もちろん、教会の近代化、刷新を決めた第2バチカン公会議(1962~65年)のように、時代の流れに呼応して教会を刷新する動きは過去、あった。ヨハネ23世はその意味でカトリック教会内外で評価されてきた法王の一人だ。ただし、同23世は教会のドグマを廃止したというより、主に組織としての教会運営の近代化、刷新だった。

フランシスコ法王は中絶問題では教会のドグマを堅持するが、時には中絶を半ば公認するような発言もしてきた。フランシスコ法王は2015年1月19日、スリランカ、フィリピン訪問後の帰国途上の機内記者会見で随伴記者団から避妊問題で質問を受けた時、避妊手段を禁止しているカトリック教義を擁護しながらも、「キリスト者はベルトコンベアで大量生産するように、子供を多く産む必要はない。カトリック信者はウサギのようになる必要はない」と述べたため、批判の声が上がったことがある。

フランシスコ法王の言動はトランプ米大統領の言動に酷似している。多弁であり、話すことを好む。その内容には首尾一貫性に欠けることが多い。その時、その場の勢いが発言表現に反映されることが多いから、時には問題発言、爆弾発言が飛び出すわけだ。

トランプ氏はホワイトハウスの慣例を破り、自身のやり方に拘る。同じように、フランシスコ法王も従来のローマ法王の生活様式を嫌い、ゲストハウスのサンタ・マルタ館で寝泊まりし、ミサの慣例化なども躊躇せず行う。警備担当者の警告を無視して信者たちにも積極的に話しかける。

ただし、フランシスコ法王はドグマを放棄したり、廃止することはない。フランシスコ法王の生活スタイル、言動スタイルから「フランシスコ法王は中絶を公認するかもしれない」と考えるべきではない。ただし、聖職者の独身制は廃止する可能性は十分考えられる。なぜならば、聖職者の独身制は教会のドグマではなく、伝統だからだ。フランシスコ法王は教会の伝統の「改革者」になれるかもしれないが、教会のドグマを廃止する「革命家」にはなれないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。