ノーベル賞を受賞されたお祝いを申し上げに、先週、本庶佑先生を京都大学の研究室にお訪ねしました。
レンガ造りの研究棟は日常の静けさを取り戻していたものの、本庶先生への取材目的での訪問者に対する注意書きの看板が未だそこここに立つ様子には、この半月間、京都大学を襲った喧騒のほどが偲ばれました。
一方、研究室で出迎えて下さった本庶先生はお疲れの影も一切なく、さりとて高揚した表情を垣間見ることもなく、いつも通り平静で穏やかそのもの。
本庶先生はいつお会いしても、古武士の如く凛として、泰然自若とした佇まいをなさっているため、対面するこちらまで思わず背筋が伸びるのですが、研究者にとって最高峰と言えるノーベル賞をその手にされても、これまでと寸分違わぬ本庶先生であられることに、私は少なからぬ感動を覚えました。
お祝いの言葉を申し上げ、ストックホルムの授賞式でお召しになる予定の仙台平(仙台産の絹織物で袴地の最高級品)などについて、しばし談笑の後、話は昨今の科学技術政策へと移りました。
前々回の記事でもご紹介した通り、今、日本の科学技術は危機に瀕しています。
論文発表数や引用数などを分析した結果、この10年間でどの指標をとっても日本の国際競争力は低下しており、世界で最も権威ある科学雑誌の一つである英国の『ネイチャー』も、「政府主導の新たな取り組みによってこの低下傾向を逆転できなければ、日本は世界の科学界でのエリートの座を追われる」と警告しているほどです。
それと同時に深刻なのが、若手研究者の減少と困窮で、この15年間に修士課程から博士課程へ進学する学生数は、経済的困難やキャリアへの不安からほぼ半減してしまいました。
しかも、多くのノーベル賞受賞者が受賞につながる研究をした30歳代には、日本の研究者の多くは独立した研究室を持っておらず、自分自身の研究に専心できる環境にはありません。
こうした危機を引き起こした原因として、国公立大学の独立行政法人化以降、恒常的な運営資金である運営交付金が毎年削減されていることが多く指摘されています。
この他にも、血税を投じて生み出された研究開発成果(シーズ)が、実用化・産業化されずにお蔵入りしたり、海外へ流出してしまったりして、国民の生活や社会を豊かにする結果(ニーズ)に結びつきづらいなど、日本の科学技術政策は深刻な問題を抱えています。
こうした危機的状況を本庶先生は、以前から大変憂慮なさっていて、基礎研究の振興や若手研究者支援のため、ご自身の研究成果から開発された癌免疫治療薬「オプジーボ」のロイヤルティーを基にファンドを設立したいと常々おっしゃっていました。
ですから、今回ノーベル賞を受賞された直後にも、賞金とロイヤルティーで若手研究者を支援する基金を設立することを公式に表明されました。
実は、日本の基礎研究や若手研究者の現状を憂慮する意見は、山中伸弥先生や梶田隆章先生などノーベル賞を受賞された多くの研究者から事あるごとに表明されており、中でも昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典先生はノーベル賞の賞金を投じ、既に「大隅基礎科学創生財団」という公益財団法人を設立され基礎研究に取り組む若手研究者を支援しています。
大隅先生は、近年の科学研究が短期間での見返りを求められる風潮や大学への運営交付金の減少によって、独創性を秘めた挑戦的研究や長期間を要するような研究が難しくなり、後継者も育たないことに強い危機感を抱かれ、企業にも広く協力を呼びかけ財団を設立されました。
その危機感は、本庶先生はじめ他のノーベル賞受賞者の方々と変わりないと思いましたので、ある時思い切って大隅先生に、「先生と思いを同じくするノーベル賞受賞者の方々は数多くおられます。是非、合同で記者会見を開き意見表明をされれば、世論や政府を動かすことができると思いますが」と進言させていただきました。
こんな素人発想の意見にも、大隅先生は誠実に耳を傾けて下さいましたが、「それは色々と難しいことがあって…」と、やんわりお断りをされてしまいました。
確かに同じ国の研究予算を競い合うわけですから、分野が違えば違うなりに、また同じ分野であればそれなりに、科学界を代表するような研究者同士が手を取り合うというのは、容易なことではないのかもしれません。
しかし今は、意地だの面子めんつだの四の五の言っていられない国難です。
ノーベル賞受賞者を旗頭に、なんとかすべての分野の研究者がスクラムを組んで、政府に窮状を訴え世論を動かす状況を作り出さねばならない。
そのためには、薩長同盟に尽力した坂本龍馬のように、各組織・各分野の主要人物を国難回避という大目標達成のため繋いで行く存在が、今の科学技術にいなければならない。
そんな役割の一端を、議員バッジも付けていない今の私が担えるのだろうか?
そう思い悩んでいる時に、本庶先生のノーベル賞受賞という吉報がもたらされました。
ニュースを耳にした瞬間、「今ならできる!」と直感しました。
発信力もあり、政府や科学界にも大きな影響力を有する本庶先生の受賞を起爆剤にして、政府を動かし国難を突破する。
本庶先生の座右の銘である「有志竟成」という言葉が、テレビ画面に映し出されるたび深く心に沁み入り、勇気と自信となって私の背中を大きく押してくれました。
この決意を夫に伝えると直ぐに、自民党政務調査会「科学技術・イノベーション調査会」の渡海紀三朗会長のもとを訪ねてくれ、その結果として渡海会長から、科学技術政策の基盤強化を目的とする「科学技術基本問題小委員会」を調査会の下に作り、船田元小委員長がその指揮にあたるようにと、という有り難い決定をいただきました。
天に願いが通じるとは、まさにこのこと!
早速、本庶先生にご連絡をし、小委員会のキックオフミーティングに御講演をお願いできないかと要請したところ、ノーベル賞受賞で文字通り分刻みのスケジュールにもかかわらず、即答で快諾を下さいました。
先生の研究室でも、超過密スケジュールの中で党本部での御出講日程を直ちに調整下さったことに、心から御礼を申し上げました。
その上で、「お願いついでと申しては、あまりに恐縮なのですが…」と呟きつつ、私は思い切って東京から携えて来た色紙を先生の前に差し出しました。
「『有志竟成』という先生のお言葉を、あらためて頂戴できないでしょうか。」
虚を突かれたような表情をお見せになっている先生を前に、私は上記のような小委員会設立に至るまでの経緯をご説明し、「有志竟成」という言葉と、先生から本学の生徒へ頂戴したお手紙に記されていた6つの“C”、中でも「必ずできると自分を信じる」ConfidenceのCが、いかに自分の背中を強く押してくれたかを縷々伝えさせていただきました。
すると、本庶先生は「分かりました。」と静かにおっしゃり、次のように言葉を続けられました。
「ただ、僕もなかなかこのところ筆をとる時間がないので、文科大臣に贈ったものと同様の色紙でよろしければ、船田先生の分と2枚用意しましょう。」
躍動感溢れる力強い水茎を目の当たりにすると、あらためて勇気とパワーが自分の中に満ちてくるのを実感しました。
ノーベル賞受賞者は、受賞理由となった研究内容と縁の深い品をストックホルムにあるノーベル博物館に寄贈するのが恒例だそうですが、本庶先生はこの書のオリジナルを博物館に贈られるとのことです。
志を曲げることなく堅持していれば、
必ずや成し遂げられる
どんな困難に直面しても、この言葉を支えに乗り越えて行こうと、いま強く心に誓っています。
編集部より:この記事は、畑恵氏のブログ 2018年10月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は畑恵オフィシャルブログをご覧ください。