気管切開しても、私は私です!

恩田 聖敬

お久しぶりです!恩田聖敬です!!!

この度、三カ月入院して、気管切開をしました。

今後の決意について、退院カンファレンスの挨拶にて表明します。


本日はお集まりいただきありがとうございます。退院にあたって、皆様に二点申し上げたいことがございます。

一点目は在宅生活についてです。

最初から高望みはしません。まずは在宅で健康に生きられれば御の字だと思っています。しかし、ゆくゆくは講演などの仕事も再開したいし、家族でのお出かけもしたいです。私が外に出て、ALSでも前向きに生きられることを世の中に発信することで、ひとりでも多くの人の背中を押すことが、私らしい生き方であり、皆様への恩返しになると勝手に思っています。皆様がケアのしがいのある男になりたいと思います。

二点目は妻のことです。

皆様から見たら、妻は私のケアに消極的に見えるかもしれません。しかし妻は、皆様が関わる前には、私のすべてのケアをしていました。子どもたちの顔もまともに見れず、私に付きっきりの日々でした。その結果、一年経たずに妻の心は壊れました。半狂乱にしばしばなり、死にたいと何度もこぼしました。

その地獄の中で私たちは思いました。子どもも含めて、家族の誰も犠牲にならずに生きるには、完全他人介護しかないと。妻は、いざという時は自分がケアしなければいけないことを重々承知しています。ただ、家族だからケアするのが当たり前という言葉に拒否反応を示してしまうのです。この中でALSになる前の私を知っているのは妻だけです。私が妻に求める役割は、介助者ではなく理解者です。本来の家族の役割はそういうものではないでしょうか?

一般常識とかけ離れていることも、人的資源の乏しい岐阜県で完全他人介護を目指す困難さも分かった上で申し上げております。しかし、誰かが理想を目指さない限り、犠牲者は犠牲者のままです。現実と理想のギャップを埋めるために、皆様のお知恵とお力をお貸しください。どうかよろしくお願い致します。


今後もよろしくお願い致します。

恩田聖敬


この記事は、株式会社まんまる笑店代表取締役社長、恩田聖敬氏(岐阜フットボールクラブ前社長)のブログ「片道切符社長のその後の目的地は? 」2018年10月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。