「カショギ氏殺人事件」1カ月の総括

長谷川 良

サウジアラビアの反体制ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(59)がトルコのイスタンブールのサウジ総領事部内で殺されてから、今月2日で1カ月目を迎える。殺人がサウジ関係者によるものであったことは捜査側のトルコ当局もサウジ側もほぼ一致してきたが、誰がカショギ氏の殺人を命令したかでは、まだコンセンサスはない。同氏の死体が発見されれば、犯行状況などがより判明するだろう。

殺害されたサウジのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏(ウィキぺディアから)

ところで、カショギ氏殺人事件だから犯人捜しが最優先されるが、殺されたカショギ氏がどのような人物で、なぜ殺されたのかについてはあまり報じられていない。明らかな点はカショギ氏が亡命先の米国でムハンマド皇太子の政治を厳しく批判し、糾弾したことがサウジ側の怒りに触れたことだ。「カショギ氏はジャーナリストの道に入った当初はムハンマド皇太子のサウジ改革に期待していたが、皇太子の政治が強権と粛清であることが分かり、袂を分かった」(独週刊誌シュピーゲル)といわれる。

カショギ氏は生前、ワシントン・ポスト紙や独週刊誌シュピーゲルにコラムを寄稿し、ムハンマド皇太子批判を繰り返してきた。そこで“アラブの盟主”サウジを震撼させたカショギ氏とはどのような政治信条を有していたのか、そのプロフィールを少し追ってみた。以下、シュピーゲル誌の情報をもとに報告する。

カショギ氏は9月、ワシントン・ポストに「ムスリム同胞団」について言及し、「『ムスリム同胞団』が解体されれば、アラブ諸国の民主主義は終わる」と述べている。カショギ氏の政治信条は「ムスリム同胞団」に近いとみて間違いない。実際、エジプト前大統領ムハンマド・モルシーの顧問と頻繁に会っているのを目撃されている。ちなみに、カショギ氏はアラブの盟主を目指すトルコのエルドアン大統領の友人だ。同大統領は「ムスリム同胞団」の支持者だ。

一方、「ムスリム同胞団」を警戒し、脅威と感じるムハンマド皇太子はエジプトとアラブ首長国連邦と共に同組織がテログループであることを欧米諸国に向かってアピールしてきた。ムハンマド皇太子とカショギ氏の間には「ムスリム同胞団」に対する捉え方が180度異なるわけだ。

なお、カショギ氏はジャーナリストとして初期時代、アフガニスタンのムジャーヒディーン(ジハードを遂行する戦士)を支持、国際テロ組織「アルカーイダ」の創設者オサマ・ビンラディンとも会っている。ただし、後半になると、イスラム教の教えを文字通り解釈するイスラム過激主義に距離を置き、次第にリベラルな考えになっていった。

10月2日、イスタンブールのサウジ総領事部前でカショギ氏が戻るのを待っていた婚約者、Hatice Cengiz女史はカショギ氏が戻らないので直ぐに知人に電話している。その相手先はトルコのエルドアン大統領の顧問でカショギ氏の友人 Yasin Aktay 氏だ。すなわち、カショギ氏殺人事件の周辺にはサウジばかりか、トルコ側もトップが接触していたことが分かる。それだけではない。米中央情報局(CIA)はカショギ氏に事件前、「サウジ側は、あなたを誘拐し強制的に帰国させる命令をムハンマド皇太子から受けている」と通達している。サウジ、トルコ、そして米国の3国がその濃淡は異なるが、接触していた事実が浮かび上がる。

ちなみに、カショギ氏は9月28日、イスタンブールのサウジ総領事部を訪問し、結婚に必要な書類を求めている。サウジ側は「1週間後、取りに来てほしい」と答えた。実際は、カショギ氏は10月2日、サウジ総領事部を再訪した際、事件に巻き込まれた。総領事部内にはリヤドから派遣された15人の特別隊がカショギ氏の訪問を待っていたわけだ。その中には、「死体解剖時には音楽を聴けばいい」と述べた死体解剖学者 Salah Muhammed Al Tubaigy 氏がいた。同氏はアラブのメディアとのインタビューで「自分は死体解剖の最短記録保持者だ」と自慢している。

カショギ氏にとって武器商人で億万長者のアドナン・カショギ氏(昨年6月死去)とは甥・叔父の関係だ。英国の故ダイアナ妃と共にパリで交通事故死したドディ・アルファイド氏(叔父カショギ氏の実妹の息子)とも親戚関係に当たる、といった具合だ。華やかな一族だ。

カショギ氏殺人事件がどのような結末を迎えるか目下不明だが、経済危機にあるトルコに対し、サウジが財政支援をする形で手打ちになる可能性もある一方、サウジとトルコ間でアラブの覇権争いが激化するかもしれない。いずれにしても、カショギ氏殺人事件はここしばらくはアラブ全土に大きな混乱と動揺をもたらすことは必至だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年11月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。