明治レジームを総括する①明治・戊辰150年に思う。

玉木 雄一郎

大河ドラマ「西郷どん」が、佳境を迎えています。先週のエピソードでは、廃藩置県の断行を巡って、力を信奉し近代化を急ぐ大久保と、信義に基づく政治を貫こうとする西郷との方向性の違いがあらわれ始めました。

そして、今週の岩倉使節団派遣から、西郷と大久保の路線の違いが、いよいよ決定的になろうとしています。その台詞の中で、西郷は、戊辰の戦に倒れた人々への思いや、徳川の人々に対しても申し訳が立たないといった感慨を語っています。こうした西郷の心情の描き方、明治維新の近代化礼賛一辺倒ではない物語の展開が、とても印象的です。

いまからちょうど150年前の今日、11月6日。明治改元の詔書が10月23日に発出されてから2週間後。戊辰戦争の会津鶴ヶ城の攻防戦で、会津藩はついに新政府軍に降伏します。

安倍総理は、先月23日の「明治150年記念式典」式辞で、特に、若い世代の方々には、ぜひとも、この機会に、わが国の近代化に向けて生じた出来事、人々の息遣いに触れ、光と影、さまざまな側面を貴重な体験として学びとってほしいと思います」。「私たちは、平成の、その先の時代に向けて、明治の人々に倣い、どんな困難にもひるむことなく、未来を切り開いてまいります。そして、平和で豊かな日本を、次の世代に引き渡していく、その決意を申し述べ、式辞といたします」と述べました。

安倍総理が、歴史の「光と影」とおっしゃるなら、ご自身の式辞の中で、奥羽越列藩同盟側は、賊軍でも朝敵でもなかった、と言ってもらいたかったものです。

今年1月の通常国会の代表質問で私は、「明治150年は、戊辰150年でもある」という点に触れました。

安倍総理は、明治維新の「光」の側面へのこだわりが強いように思います。先の通常国会での施政方針演説でも、安倍総理は、白虎隊員であり、後に東京帝国大学総長に登用される山川健次郎の事例をひいて、「明治政府は、国の未来のために、彼の能力を活かし、活躍のチャンスを開きました」と述べておられます。

山川健次郎(Wikipedia:編集部)

しかし、これは、明治維新礼賛のために山川健次郎の名前を持ち出していて、歴史を自分の都合のいいように利用するご都合主義だと思います。

会津藩家老の上に生まれた山川健次郎は、戊辰戦争の折、家族とともに会津若松城に籠城していましたが、会津藩降伏の直前、藩士全員が殺されることを危惧した会津藩士・秋月悌次郎が、秀才と謳われた山川を逃がして、有意の人材を後世に伝えようと考えました。その後、山川は、秋月と親交のあった長州藩士・奥平謙輔の書生となり、アメリカへの国費留学生に選抜され、明治8年(1875年)、にイェール大学で物理学の学位を取得し帰国します。

奥平謙輔(Wikipedia:編集部)

この山川を書生として引き受けた奥平謙輔は、明治9年(1876年)の萩の乱を起こした首謀者とされ刑死します。寛容の心をもって活躍のチャンスを山川に与え、人を育てたというのであれば、明治政府というよりも、その政府に異を唱え、いわゆる「朝敵」と言われた奥平謙輔こそが相応しいのではないかと思います。

「時移りて薩長の狼藉者も、いまは苔むす墓石のもとに眠りてすでに久し。恨みても甲斐なき繰言なれど、ああ、いまは恨むにあらず、怒るにあらず、ただ口惜しきことかぎりなく、心を悟道に託すること能わざるなり 」 

「過ぎてはや久しきことなるかな、七十有余年の昔なり(略)。新しき時代の静かに開かるるよとおしえられしに、いかなることのありしか、子供心にわからぬまま、朝敵よ賊軍よと汚名を着せられ、会津藩民言語に絶する狼藉を被りたること、脳裡に刻まれて消えず 」

「悲運なりし地下の祖母、父母、姉妹の霊前に伏して思慕の情やるかたなく、この一文を献ずるは血を吐く思いなり(柴五郎「血涙の辞」)

これは、山川と同じ会津人である柴五郎が、晩年に残した言葉です。

柴五郎(Wikipedia:編集部)

柴五郎は、明治331900年)、北清事変(義和団の変)に遭遇し、そのときの北京の籠城戦での沈着冷静な行動とリーダーシップが世界各国の賞賛を浴び、日本の国際的な地位向上に大きく貢献した人物です。この柴五郎をはじめとして、明治という時代には、心のうちに「血を吐く」強い想いを秘めながら時代を担い、日々を暮らす人がいたのだということを忘れてはならないと思います。

都合がよい側面だけをとりだして、明治礼賛を繰り返す安倍総理には、「戊辰150年」側の人の心に寄り添うという気持ちがあるのかどうか疑問です。

さらに言えば、1879年、明治政府が軍と警察を首里城に派遣して、武力をもって琉球を制圧して琉球王朝を廃し、中央政府に統合した歴史の中で、その当時の琉球の気持ちに深く想いをめぐらしたことがあるのかどうか、疑問がぬぐえません。

150年たった今、「明治・戊辰150年」、勝者の視点だけでなく、その双方に寄り添う気持ちを胸に刻みながら、日本にとって明治という時代の意味、明治レジームの功罪を、これから何回かわけて、このブログで綴りたいと思います。


編集部より:この記事は、国民民主党代表、衆議院議員・玉木雄一郎氏(香川2区)の公式ブログ 2018年11月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はたまき雄一郎ブログをご覧ください。