かつて電車の中吊りやテレビの宣伝などに氾濫していた、あの宝くじの広告、なぜ、あのような射倖心を煽る派手な広告が社会的に許されていたのか。金融商品の広告ならば、確実に違法となるはずの表現が堂々と踊っていたのは、なぜか。それが、現在では、穏健な表現に転じたのは、なぜか。潜在的批判を意識したものなのか。
宝くじの発売は、富くじに関する「刑法」の規定により、立派な犯罪なのだが、「当せん金付証票法」により、非犯罪化されている。その理由は、地方自治体の資金調達の手段という公益性である。「宝くじ公式サイト」にある「収益金の使い道と社会貢献広報」をみると、2016年度の販売事績額は8452億円であるが、その39.6%の3348億円が地方自治体に収納され、公共事業等に使われたのでる。
資金調達とはいっても、地方自治体に弁済の義務はなく、一種の寄付である。賞金として分配されたのは46.8%の3959億円で、その余は経費等であるから、宝くじを1万円購入するということは、4700円で丁半賭博をすることと引き換えに、4000円を地方自治体に寄付し、1300円を胴元に手数料として払うことなのである。
純理性的には、ギャンブルの要素に経済的意味はないから、宝くじの購入者は寄付を目的にしていると考えるほかない。ところが、「宝くじ公式サイト」によれば、2016年4月の実施した宝くじ購入動機の調査で、動機の上位は、「賞金目当て」(61.9%)、「宝くじには大きな夢があるから」(42.5%)、「遊びのつもりで」(32.9%)、「当たっても当たらなくても楽しめるから」(32.9%)となっている。主な動機は、寄付の公共性ではなく、経済合理性を超越した「夢」への期待と娯楽性なのである。
こうした状況のなかで、法令で高度に規制された金融商品の広告のように、宝くじ1万円の購入について、1300円の経費等、4000円の寄付、4700円の賭けという明細、および、賭けの期待収益がゼロであることを大きく表示したら、それでもなお、宝くじは売れるものであろうか。
宝くじの宣伝については、非犯罪化されている背景に忠実であれば、本来は、正面から公共性を掲げて、寄付への理解を求めるものでなければならない。しかし、それでは、宝くじの売れ行きは伸びない。宝くじの売れ行きが悪くなれば、資金調達としての機能は弱くなる。宝くじの機能を維持するためには、工夫と努力によって、宝くじを積極的に販売しなければならない。そのためには、国民の射倖心を煽るほかない。
こうして、これまでは、宝くじの派手な広告が展開されてきたのである。射倖心を煽る広告のなかでは、宝くじの本来の機能である地方自治体への寄付的要素は完全に消滅してしまっていたわけで、宝くじを非犯罪化した法政策的な目的との関連では、問題なしとしない状況にあったと思われるのである。
故に、広告のあり方が見直され、最近では、射倖心を煽る要素を少なくし、同時に、宝くじの社会貢献を世に知らせる方向へ、路線が修正されたのである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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