メキシコ:移民が殺到した国境の街で市民の意見が真っ二つ

中米のエル・サルバドル、グアテマラ、ホンジュラスの住民の6割が貧困層で、職場を見つける機会は少なく、農業は干ばつと害虫の被害で不作が毎年続いている。その上、若者が中心となった凶暴な暴力組織による恐喝や殺害も横行している。

米国との国境にあるメキシコ・ティファナ市(地図上の赤点、Wikipedia:編集部)

このような厳しい社会環境から逃れて幾分かましな生活を求めて米国を目指して出発している集団移民キャラバン。彼らの多くが先ず向かう先がメキシコの米国と国境を接する都市ティフアナ市(Tijuana)である。人口160万人のこの都市は長年、中米から米国に向かう移民が通過して行く都市である。それに地元の市民はこれまで見慣れていた。

10月中旬にホンジュラスで暴力組織が一番活発に活動している人口100万人の都市サン・ペドロ・スラを起点に米国に集団で移民しようとする動きがソーシャルネットを通して生まれた。それに加わる移民の数は次第に増え、移民キャラバンと呼ばれるようになっていた。

それに追随するがごとくエル・サルバドルからもキャラバンが同じく米国に向けて出発。エル・サルバドルからは11月18日に第4陣が150人から200人程度で出発したと報じられた。グアテマラは地理的にこの2か国のキャラバンが必ず通過するので、それに合流する形で参加している。

彼らがキャラバンを組んだ理由は集団で移動すれば途中で警察などから拘束されることから回避することができる。しかも集団であるから安心感をもって移動できるというメリットもあるからである。

彼らがメキシコに入って途中、途中の通過した都市では地元の市民が移民者に色々な施しものを与えたりして彼らに声援を送ったりもしていた。メキシコの首都メキシコ・シティーでも毛布や衣類などが彼らに提供されていた。

ところが、4500キロ以上を歩行を重ね、途中バスやトラックに乗車しての彼らが目指していた米国との国境都市ティフアナ市に到着した途端、事態は一変したのである。最初のキャラバンから離れて先行したグループが11月11日にティフアナに到着。その後も続々と移民が到着した。各紙によってその数はまちまちであるが3000人から4000人と報じ、近く9000人から1万人以上になると推測されている。

ティフアナの砂浜には背の高い鉄格子が海まで続いて米国との国境になっている。米国側には警備隊が監視の目を光らせているからそこをよじ登って米国側に侵入することはできない。

両国の国境通過点では米国の検査官は一日に凡そ100人の亡命申請を処理しているということからキャラバンの到着前までにすでに3000人が申請の回答を待っているという。その為、キャラバンの移民が亡命申請をしたとしても、それが受理されるのか却下されるのかその回答が判明するのに数か月は要する。

問題は間もなく到着する後陣キャラバンの移民も加えて1万人以上を収容できる場所がティフアナにはないのである。現在はサッカースタジアムや自治体が仮設の収容所を設置して対応しているが、それでもすでに不十分となっている。

移民が怒涛の波のように押しかけて来て市民の社会秩序が乱されていることに一部市民は憤りを感じて移民と口論になったりもしている。ある7人グループの移民の二人が現地の市民と喧嘩、5人は麻薬を吸っていたことで全員が警察に逮捕されるという事件も発生している。

現地の一部市民は彼らを「泥棒、麻薬常習犯、汚い」といったりして蔑視する。その一方では、食べ物や衣類など支援サービスを提供している市民もいる。現地市民の間でも意見が分かれているのだ。

市民同士が対立している中で、市長のフアン・マヌエル・ガステルムは移民の存在に批判的な市民に味方しているようで、彼らのことを「麻薬常習者だ」と呼び、キャラバンの移民の中には暴力をふるう者もいるとして、「市民の安全にとって彼らは危険だ」と指摘しているのである。更に、「人権はその権利を持っている人たちのためにある」と述べて、移民者には人権がないかのような仄めかしもした。

ティフアナ市民の移民への敵対的反応を前に、それを全く予期していなかった移民者の中にも反応は色々である。


メキシコメディア(sinembargo.mx)の取材に応じたホンジュラスからの移民アレキサンダーさん(18)は「チアパス、ベラクルス、メキシコ・シティーで受けた印象と同じだと思っていた。ここでの我々への対応は悪い。それは我々を意気消沈させてしまう」と語り、「30日以上の旅だった。メキシコの南の国境から4000キロだ。そうであるのに、ティフアナでは我々移民が差別され、毛嫌いされている」と言ってと失望感をあらわにした。

地元住民から「犬畜生!、空腹で死んでしまえ!、国に戻れ!」と罵られたのはアレキサンダーさんだけでなく、4000人の移民の多くが同じ罵声を浴びせられているという。

同氏は地元住民の敵対心を前に、「ホンジュラスに戻りたいと感じているが、フアン・オルランド・エルナンデス大統領がキャラバンで脱出した者には3年収監の刑罰を科すいっていたのが怖い」とスペインEFE通信記者に語り、米国で働くのが目的であったが、帰国の送還に加えてもらう為にメキシコ移民局に出頭することを決めたそうだ。

同じくホンジュラスからの移民カルラさん(25)は母親がマイアミに24年間在住しているということもあって米国移民局に出頭して入国の申請をするつもりだという。「国には戻りたくない。国の事情は悪い。メキシコに残ることはしない。差別されて、多くの住民から国に戻れと言われている。ここでは我々を嫌っている」と同じくEFE通信に語り、料理が好きでレストランで働ければと希望していたという。

別のメキシコメディア(proyectopuente.com)によると、カルロス・パディリャさん(57)もホンジュラス出身。ティフアナの住民のひとりが彼が通りを歩いていたら「移民は豚だ」と言って来たので、彼は「我々は問題を起こす為に来たのではない。亡命申請の為だ」と答えたそうだ。「我々を獣のように見なしている」と取材に語った。米国への亡命が受理されない場合は国に戻るつもりだそうだ。

メキシコでも仕事があると言っているのはホンジュラス出身でメキシコで8年生活しているグスタボ・カナレスさんだ。彼は「私に尋ねて来た移民には、メキシコに残ることを常に勧めたい」「米国では犬のように隠れた生活をせねばならないが、ここでは可成り落ち着いて生活できる」と語っている。

「米国(移民局で)の面接質問は想像できるように怖いものだ」と取材で語っているのはエル・サルバドル出身のキャサリン・シガランさん(22)だ。「面接では国から出たい理由と、どうして身の危険を感じているのか詳細に説明しなけばらならない」と説明し、「抽象的に貧困や暴力の被害を受けていることでは説得するには十分ではない」と語った。

トランプ大統領の今年の移民受け入れは3万人で、これまでで一番少ない人数だという。その一方で、2013年から米国との国境で入国を申請する人の数は20倍に増加。亡命や難民申請者も10倍に増えている、とスペイン紙『El País』(11月18日付)が現地から報じている。

これからティフアナ市での移民問題はさらに深刻な事態に発展しそうである。