2018年11月25日のTBS『サンデーモーニング』の「風をよむ ゴーン容疑者とグローバル化」という特集で、司会の関口宏氏が「情報が進めば進むほどグローバル化していくことは仕方がないことかもしれないが、日本の良さが壊されていくのはたまらないなぁ~。つらいものがある」と発言しました。市場原理を基調とするグローバル化において、経営の効率化を目的として従業員を解雇することは日常茶飯事のスタンダードと言えます。
トランプ大統領の反グローバル化政策を「多様性を排除する偏狭なナショナリズム」と蔑視して悪魔のように批判している『サンデーモーニング』の司会者が、グローバル化の負の側面を実感した途端に眉間にしわを寄せてそれを批判したというのは滑稽と言えます(笑)
【グローバル化 globalization】とは【地球 globe】を一体化することを意味し、国境の存在を無視するものです。国境の存在を前提とする【国際化 internationalization】とは異なる概念であり、国際化の主体が「国民」であるのに対して、グローバル化の主体は「人類」そのものであると言えます。このため、ルノーのような国策企業がグローバル企業の一翼を担う場合、話はややこしくなります。
冷戦終了後の経済のグローバル化によって、日本企業は、人件費・土地代・気候・治安などの生産活動に及ぼす環境条件がほぼ等質な国内企業との競争から、環境条件が全く異なる海外企業との競争に晒されることになりました。製品の質などの付加価値の地域的格差が次第に小さくなる中でグローバル化が進んだ現在、特定の分野においては、日本国民に対する日本企業のアドヴァンテイジは、関税を除けば、空間的な近さに起因したロジスティックのコストの低さだけになったと言えます。勿論、この状況は必ずしも良いとも悪いとも言えません。重要なのは国民の生活水準が高く保たれているかどうかです。
さて、グローバル化に関連して私達がより大きな関心を持つべきイシューとして、移民による日本国民の生物学的なグローバル化があります。経済のグローバル化に対しては国が保護的な制約条件を物品の輸入に課すことで方向転換が可能といえますが、移民による生物学的なグローバル化は基本的に不可逆的であると言えます。
心理学において、人間の【個性 individuality】は、【人格 personality】【性格 character】【気質 temperament】という3つの概念で構成されるモデルによって記述されます。このうち「人格」は個人が置かれた環境によって後天的に獲得される個性であり、「性格」は遺伝等によって先天的(生得的)に与えられる個性と考えられています。また「気質」は刺激に対して反応する個性であり、これも先天的と考えられています。以上のことから、移民の増加、および移民との交配による日本国民の生物学的なグローバル化が進行すると、日本人独特の性格・気質が変化し、これに伴う環境変化により日本人の人格が変化していく可能性が考えられます。なお、誤解がないように断っておきますが、この変化を優劣で判断することは倫理的に正しくありません。人間の存在は個性に拘らず平等であるからです(根拠は【定言命法 categorical imperative】です)。
ここで、安倍政権が今国会で進めている外国人労働者受け入れ拡大法案について考えてみます。私は、この法案の成否は外国人労働者を移民として受け入れないような明確な規制のシステムを構築できるかにあると考えます。なぜかといえば、私たち日本人は、将来の子孫の社会を概念設計するような議論を十分にできていないため、移民としての大量の外国人を現段階で受け入れるわけにはいかないからです。
日本人が選択する道は2つあります。その一つは、日本という島国において、現在と同じようなレベルで内向を保つことよって独自性を保ち、日本人の個性(必ずしも「民族」という意味ではありません)を長期間にわたり維持しながらインターナショナルなフレームワークの下に他国とより密接に共存することで疑似的な「準グローバル化」を目指すという道です。そしてもう一つは、日本という島国において、グローバル化、すなわち現在よりも外向を重視し日本人の個性を捨てて他国と次第に同質化していくことで「完全グローバル化」を目指すことです。子孫にはこの選択をすることが絶対にできないことから、現在を生きている日本人が慎重に将来を見極めることが必要です。
危惧すべきはこのような将来像を考えることなしに、【多様性 diversity】という聞こえのいい言葉を乱用して移民政策を進めようとしている人達です。経団連・中西会長は、政府が進める外国人労働者の受け入れ拡大について「日本が多様性を増すためにも、そうすべきだ」との見解を示しました。立憲民主党・枝野代表は「外国の方を受け入れて、多様性のある社会を目指す。この方向性については共有したいと思います」と党首討論で明言しています。確かに日本が外国人を多数受け入れた場合、日本はその時点で一時的にヨーロッパのような多様性のある社会になります。しかしながら移民の数が定常的に相当数となる社会が構築された場合には、世代が進む毎に交配が行われ、次第に国民の個性はグローバル化され、地球平均の交配種に向かって【画一性 uniformity】の社会が進行していくことになります。これによって日本人のアイデンティティは消滅します。次の図を見て下さい。
一定の価値観を持って成立している諸国が存在している【空間的不均質性 spatial heterogeneity】が高い状態の現在の世界(左図)に移民が発生すると、各国で一時的に多様化が進行(中図)しますが、その交配によって【空間的均質性 spatial homogeneity】が高い状態に移行し、最終的には世界の全地域が一様な単一民族(交配種)の居住地となり、日本人、イギリス人、インド人、インドネシア人、ケニア人といったような現在普通にあるような多様性が消滅した画一的な社会となります(右図)。つまり、グローバル化とは、地球内の空間的不均質性を除去して空間的均質状態(空間平均=一定、空間共分散=0)という画一化を実現するものに他なりません。この完全グローバル化の進行は不可逆的なので、曲論で言えば、日本人が地球という閉じた空間から集団で移動して隔絶した社会を形成しない限り、遥か遠い将来には日本人というアイデンティティは消滅する運命にあります。
完全グローバル化を早期に達成して画一なグローバル社会を形成するのか、準グローバル化によって長期にわたって多様な国際社会を維持するのか、日本人が真剣に考えなければならない二者択一であると言えます。
ちなみにネアンデルタール人が絶滅したのは、多数のホモ・サピエンスと少数のネアンデルタールの異種交配が原因であるという有力な説があります。これは、多数種と少数種で異種交配が活発化すると、少数種で遺伝子汚染が発生し、結果的に多数が少数のゲノムを駆逐するというメカニズムです。現在の人口構成比を考えれば、日本人の個性が短期間でドラスティックに変化することは考えにくいと言えますが、突きつけられた二者択一について日本国民が合理的に意思決定するためにも、日本政府は遺伝学的な将来予測をベースに日本社会の生物学的グローバル化について科学的な分析を進める必要があると考えます。
編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2018年11月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。