フランス政府は、燃料税の引き上げに端を発したデモが激化した、「黄色いベスト運動(ジレ・ジョーヌ gilets jaunes)」による暴動を沈静化させるために、増税を6ヶ月延期すると発表した。
これについて、私はFacebookで
「パリの騒動だが、マクロンの政策が方向性として間違っているわけではない。やらざるを得ないのであるし、性急でもない。問題は、マクロンが人事を上手にやることに成熟していないことだと思う。ENAを出て財政監察院に採用されて、アタリの委員会のスタッフをしていて、官界の大物のジュイエに気に入られ、そこから紹介されたネスレの会長によってロスチャイルド銀行でネスレの米企業との提携話の仲介者として成功して財をなし、オランド大統領の補佐官、経済産業相を短期間、つとめただけで、大統領に。年上の有力者に気に入られる才はあるが、組織を動かしたり、人事をしたりは経験がない。しかも、周囲にいた熟練政治家が、政治資金問題などで去ったりして、参謀がいない。」
と書いた。そうしたところ、池田信夫先生から、
「私もマクロンの政策は常識的だと思いますが、反対派の正体がよくわからない。定期的に出てくるフランスの風土病みたいなもんですかね」
とコメントをいただいた。
そこで私から
「ネット時代の鬼子ですね。それからフランスでは統治機構が強固だからそれとバランス取る形で、市民の直接行動がひとつのバランサーとして位置づけられているのです」
と再コメントした。
ヨーロッパでは行き過ぎた福祉政策が積み重なって1970年代から問題を引き起こしていた。福祉政策は必要だが、いったん始めると止めたり削減したりするスクラップ・アンド・ビルドが難しいのが頭痛の種だ。そこで、イギリスでは新自由主義のサッチャーが出て大鉈を振るい、やりすぎたのをリベラル・ソーシャリスト(自由主義の発想を採り入れた社会主義者)といわれるブレアが修正して良いバランスになった。ドイツでは社民党のシュレーダー首相がかなり大胆にリベラル・ソーシャリズムに舵を切った。
こうした改革が良かったかどうかは別として、経済の競争力は強化された。そこで、フランスも追随せざるを得なくなった。オランドもそれを試みたのだが、最初は、国際的な金融資本と戦うといったニュアンスだった。
ところが、フランスの孤軍奮闘では難しく、むしろ、金融資本との対決よりGAFAなどに戦う相手を変え、また、経済は自由化するが予算の使い道を工夫して社会的公正を確保するとか、所得保障的な考え方を導入して複雑化した福祉政策や税制を単純化して既得権保護をやめるという考えが台頭して、その旗手がマクロンだった。
しかし、社会党では左派の抵抗で中途半端に終わり、業を煮やしたマクロンは、政治手法としては小池百合子的に、中道派小勢力と連携し、社会党右派と保守の共和党の一部も取り込む形の「前進」を結成して、巧妙に動いて大統領選挙で勝利し、それに続く議会選挙でも圧勝した。
そして、フランスでは大統領が任期途中で辞任したことはないし、議会もめったなことで解散しないから、安心して改革に臨めるはずだった。プロの政治家では自分の考え方にもともと賛成してくれていた人たちを少数大臣にしたりしたが、むしろ、ほとんどの閣僚は素人だった。ところが、少数のプロの閣僚のうち要になる何人かが政治資金問題で失脚し、また寄せ集め所帯の弱さで、人気者のユーロ環境相らが辞任したりもした。首相のフィリップは誠実な能吏として評判は悪くないのだが、ともかく、チームとして弱い。
本当なら、社会党や共和党から練達の政治家に入閣を求めたいところだが、なかなかうまくいかないのは、マクロンの政治家としての未熟さが故だ。また、左右のどちらを重視するかも難しいところだ。
ただ、その一方で、野党もマクロンの政策に反対なのかと言えばそうでもない。必要性は明白なことばかりだからだ。また、政権の安定性が確保されるフランスの制度では、倒閣などといって難しいし、選挙は3年半後しかないので、攻めあぐねている。
「フランスでは統治機構が強固だからそれとバランス取る形で、市民の直接行動がひとつのバランサーとして位置づけられている」ということの根源は、カトリックにもある。「カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ」というのがキリスト教らしい政治思想だ。政府は勝手に権力を振るえる。しかし、国民も勝手にするということだ。
そうしたなかで、選挙の年でないと、政府は簡単に法律を通せるが、反対する人々は街頭に出て、そこで、市民の支持をそれなりに得て成功すると、政府も考慮せざるを得ないというのが、王制時代からのひとつの伝統なのだ。