平成最後になる今年のNHK紅白歌合戦に、歌手の北島三郎さんが特別企画で出場することが12月4日決まったと報道で知った。北島さんと言えば、平成25年に史上最多である50回の出場を区切りに、「紅白」の卒業を宣言されていたことがついこの間の事のように思い出される。今回、平成最後になる「紅白」に再び登場を望む声が相次いでいることに本人が応じて出場が決まったものらしい。非常に懐かしい思いがして嬉しくもあり楽しみでもある。
その一方で、私の中にいつもこの時期に生じる腑に落ちないもやもや感がふつふつと湧き上がってきた。この北島さんへの「紅白」出場を望む声というのは、どの辺りから出でてどこで汲み取られたものなのであろう。そもそも、「紅白」出場歌手の選考基準というものは、どこで誰によっていかなる基準で決められているものなのであろう。毎年私は、この「紅白」出場歌手が発表されるたびに、納得できないやり場のない思いに苛まれるのである。
NHKホームページによると、紅白歌合戦の選考基準は、1今年の活躍、2世論の支持、3番組の企画、という三本柱が主体であるらしい。
具体的には1の「今年の活躍」については、
(1)CD・カセット・DVD・Blu-rayの売り上げ
(2)インターネットでのダウンロード・ストリーミング・ミュージックビデオ再生回数・SNS等についての調査
(3)有線・カラオケのリクエスト等についての調査
(4)「NHKのど自慢」の予選出場者の曲目
の4点ということであり、2の「世論の支持」については、
(1)7歳以上の全国2500人を対象にNHKが行った「ランダムデジットダイヤリング」方式による世論調査の結果。
(2)7歳以上の全国8000人を対象にNHKが行ったウェブアンケート調査の結果
ということで、その調査の質問は、「紅白に出場してほしい歌手男女各3組」を答えてもらう方式だそうである。
よく分からないのだが、要するにNHKのエンターテイメント番組の責任者とスタッフなどが集まって前記事項を基準に出場者を選出し、他のNHK幹部に諮って決定しているのではないかと推測する。
確かに、1の「今年の活躍」については、多角的な視点から調査していることが窺える。しかし、調査結果(数値など)については公表されていないし、この結果がどういう基準で選考に反映されているのかは全く不明である。また、2の世論の支持に至っては、RDD方式やウェブアンケートによって幅広い世代や地域の方々に意見を聞いたとしながらも、たかだか1万人程度で7歳以上となると、実際どれほど幅広い意見だったのかというのは、はなはだ疑問である。NHKは受信料を払っている人がいったい何人いると思っているのであろう。
NHKの受信料については、全国で約20%にあたる受信料未払い世帯が900万世帯を超えるということであるから、概ね3600万世帯から受信料を受領しているという計算になる。この世帯で7歳以上の人口となると、恐らく1万人というのは1%を下回る人数ではないだろうか。受信料を払っている世帯数からだけ見てもこれだけわずかな抽出率なのだから、これで世論の支持というのには余りにも無理がある。
最後の選考基準である、「番組の企画」というのがまた私には腑に落ちない。「紅白」が一年最後の締めくくりである国民歌謡祭というのなら、前出1と2の選考基準によって決定した出場歌手を見てこれを決めるのが本筋ではないか。始めにNHKが描いた「番組の企画」ありきで出場者を決めるなら、1と2から調べた「国民の声」はないがしろにされる可能性があるということになるのではないか。
NHKは「皆様の公共放送」と自認するならば、一年最後の最大のイベント放送である「紅白」の出場者については、国民にその選出を委ねるべきであると思う。さらに加えれば、その出場者の曲目や参加するゲストなどについても広く意見を求めてはいかがであろう。歌手や曲目の具体的な選出方法については、広く意見を公募して決めればいい。毎年大晦日に「紅白」を見ることを楽しみにしている方々なら、喜んでこれら選出方法についての意見を出すことであろう。
そのようにして決定した方式によって、出場者や曲目などが国民に選ばれることになれば、AKB48の選抜総選挙のように、その選出行為自体がイベントとしての色彩を帯び、出場者の選出から大晦日の「紅白」当日までその流れが国民的歌謡の祭典として華やかに盛り上がることが期待できるのではないだろうか。
いや、それにもまして何より、「紅白」出場歌手の選出にからむダークなうわさとイメージが払しょくされ、出場歌手も国民も選出結果に十分納得ができ、NHKの自己満足的な匂いのするやるせない演出が少しでも改善されることが一番の狙いではあるが。
鈴木 衛士(すずき えいじ)
1960年京都府京都市生まれ。83年に大学を卒業後、陸上自衛隊に2等陸士として入隊する。2年後に離隊するも85年に幹部候補生として航空自衛隊に再入隊。3等空尉に任官後は約30年にわたり情報幹部として航空自衛隊の各部隊や防衛省航空幕僚監部、防衛省情報本部などで勤務。防衛のみならず大規模災害や国際平和協力活動等に関わる情報の収集や分析にあたる。北朝鮮の弾道ミサイル発射事案や東日本大震災、自衛隊のイラク派遣など数々の重大事案において第一線で活躍。2015年に空将補で退官。著書に『北朝鮮は「悪」じゃない』(幻冬舎ルネッサンス)。