マクロン大統領が辞任の瀬戸際に追い詰められた

有地 浩

フランスでジレ・ジョーヌ(黄色いベスト運動)の嵐が止まない。マクロン大統領は辞任の瀬戸際まで追い込まれている。

マクロン大統領ツイッター、KRIS AUS67/flickrより:編集部

12月8日土曜日、ジレ・ジョーヌの4回目の大規模なデモが繰り広げられた。当局側の発表によると、フランス全土で12万5000人が参加し、1400人以上の逮捕者が出たという。前回、12月1日に比べると破壊行為などの過激な行動はかなり減ったようだが、依然として運動は続き、収束する気配がない。

燃料税増税反対に端を発したこのデモだが、政府が燃料税の引き上げを来年中は行わないことを発表しても、国民の不満は収まらない。今では燃料税増税阻止から、より幅広い生活支援策を求めるようになり、ついには国民議会(下院)の解散やマクロン大統領の辞任まで要求するようになった。

経済的な弱者とそうでない者との格差が大きく広がる中で、政権が打ち出す拙劣な政策が国民の反感を呼んでいる。財政赤字削減のために、学校、郵便局、裁判所、地方の役所出先など、様々な公共サービスがなくなっていく一方で、一般化社会拠出金(CSG)という名の税金が増税されて年金生活者の手取りが減っている。民衆、特に恵まれない所得層の生活はぎりぎりのところまで追いつめられている。

そこにクリーンなエネルギーへの転換を推進するためと言って、車での生活が不可欠な人々の生活を脅かす燃料税の増税が行われそうになったため、フランス的な表現をすれば、背骨が折れそうに重い荷物を背負わされたラクダの背に、最後に一本の藁が乗せられたのだ。

しかしマクロン大統領は増税の一方で、富裕税を大幅に軽減して金持ちを優遇し、国際競争に打ち勝つためと言って法人税の減税も行いつつある。

やはりマクロン大統領が大統領に選出された当初から危惧されていた、若すぎて政治経験が不足していることがまさに表面に出てきた感がある。大統領は既存の政党や労働組合を批判して、自分は右でも左でもないと言ってきたこともあって、これらの勢力の協力が得られず、周囲に十分なブレーンもいない。

大統領の与党は大統領選挙後に国民の改革への期待が頂点まで高まっていた時に選挙で選出された、日本で言えば小泉チルドレンばかりの政党なので、もし、ジレ・ジョーヌの要求にあるようにマクロン大統領が国民議会を解散したら、与党「前進」の議員は選挙でバタバタと落選して、マクロン大統領の立場をさらに危ういものとしてしまうだろう。

マクロン大統領の辞任を求める声は、彼の政策だけを批判しているのではない。大統領がエリート意識丸出しで、下々の生活にうといことを如実に表した失言が、いくつかテレビで放映されたが、大統領がまるでフランス国王か皇帝ナポレオンのような、権威主義的な振る舞いをすることも、国民の反感をあおっている。

その幾つか例を挙げると、大統領選挙後の勝利集会の会場は、当初発表されたエッフェル塔下のシャンドマルス公園ではなく、ルーブル宮のガラスのピラミッドの広場でべートーベンの第9が流れる中で厳かに執り行われ、就任後最初の上下両院の議員に対する大統領の演説はヴェルサイユ宮殿で行うなど、大統領が他の者の上に立つ絶対的な権威者という印象を強烈に与える演出を行ったのだ。

こうした振る舞いは、フランス革命の歴史を持つ国民の反感を呼んでしまった。前回12月1日のジレ・ジョーヌのデモの際に、一部過激派がパリの凱旋門を襲撃して内部の展示品――特に凱旋門を飾る彫刻を作る際に使われたフランスを象徴するマリアンヌという女性の石膏像――を破壊したが、これは権威主義的な国家に対する民衆の反抗の象徴なのだ。ちょうど1871年にナポレオン3世の第二帝政が普仏戦争の結果倒れた際に、パリ・コミューンに参加した民衆が、パリのヴァンドーム広場にあるナポレオン1世戦勝記念塔を破壊したことに通じるものがある。

ジレ・ジョーヌには左翼も右翼も、失業している若者も年金が少なくて困っている老人も、男ばかりでなく家計のやりくりに苦しむ女性も、きわめて幅広い国民が参加している。フランスの普通の国民すべてが生活のために立ち上がっていることをマクロン大統領は十分理解する必要がある。

1968年の学生運動に端を発した五月革命の大ストライキとデモに対して、当時のドゴール大統領は総選挙を行って危機を一旦は回避したが、結局翌年に行われた上院改革等に関する国民投票に敗れて辞任に追い込まれ、1年後には世を去ることとなった。

現在マクロン大統領は、かかとが壁に着くところまで追い込まれている。この形勢を逆転するには、大統領自身が民衆のレベルまで下りてきて民衆の声に耳を傾け、民衆のための改革を行うように政治の舵を大きく切る姿勢を見せなければいけない。果たしてマクロン大統領にそれができるだろうか。