「日本の高校 ベスト100」(啓文社書房)には、全国各地の一中のほとんどが取り上げられている。また、全国の一中から三中までの一覧表も載せてある。そこで、今回は、「一中」とは何かを取り上げたい。
「うちの県には一中などない」という人もいる。あるいは、あったとしても、見る影もない落ちぶれようのところもある。
だが、意外に感じられるだろうが、新制高校に移行する直前の名称に、その県の一中であることを示す言葉が含まれているのは、東京都立第一中学だった日比谷高校のほか、現在の高校で言えば、弘前高校、旭丘高校、高知追手前高校、首里高校だけである。
しばしば混同されるのは、兵庫県立神戸第一中学校(神戸高校)のようなケースだ。これは、旧制兵庫県立中学のうち、神戸市内にあるもののなかで第一中学だというだけだ。本当の兵庫一中に当たるのは現在の姫路西高校(姫路中学)である。
というのは、明治19年(1886年)に文部省が出した「中学校令(本書では便宜上、「一県一中学校令」と呼ぶ)」で、それまで存在した中学が、藩校を継承するものも、維新後に設立されたものも、各道府県一校の尋常中学に集約された時期があるからだ。だから、その中学の後身が一中と名乗ろうが名乗らないかにかかわらず、一中的な存在であることに何の疑問の余地もないからだ。
その後、明治24年(1891年)にこの方針が弾力化されたので、徐々に数校の中学が各道府県に設置される。そのとき、もともとあった尋常中学が「一中」を名乗り、ほかが二中や三中になったところもある。たとえば、東京がそうで、(現在の)日比谷高校が一中、立川高校が二中、両国高校が三中、戸山高校が四中などとなった。
福島県では最初は安積高校が一中で磐城高校が二中だったが、のちに安積中学、磐城中学と呼ばれることになった。一方、兵庫県では最初から姫路中学、神戸中学となり、のちに、神戸で第二の中学として、兵庫高校が設立されたとき、神戸高校は兵庫県立神戸第一中学となったのである。
そして、戦後の教育改革で新制高校となったとき、高女(高等女学校)などと再編されたことが多く、一中の名は痕跡をとどめなくなったのがほとんどだ。
そんななかで、一中がはっきりしないのは、北海道だ。というのは、中学の設立が遅れ、北海道札幌南高校と函館中部高校が明治28年(1895年)になってほぼ同時に設立された。
それ以外は、以下のような事情であって、「日本の高校 ベスト100」(啓文社書房)で取り上げなかった場合には、その理由を添えた。
なお、一中が県庁所在地でない場合、主たる理由ははじめ中学校へ進学を希望するのは士族の子が主流だったので城下町が優先されたためだ。また、長崎西や佐賀西の場合には、複数の学校に分割されたときの校舎継承校をもって一中の継承校とした。北野と女学校だった大手前は戦後に生徒と先生をそれぞれ二分して再編成した。
また、ベスト100では各県の公立を必ず一校は取り上げている。その場合に、甲乙付けがたい場合には一中を優先した。また、進学実績が低すぎる場合などは、「番外」として取り上げてある。
- 弘前高校(青森、城下町を優先)
- 盛岡第一(岩手)
- 仙台第一(宮城)
- 秋田(秋田)
- 山形東(山形)
- 安積(福島、交通の便。ただし、進学実績等を考慮して福島を選んだ)
- 水戸第一(茨城)
- 宇都宮(栃木)
- 前橋(群馬)
- 浦和(埼玉)
- 千葉(千葉)
- 日比谷(東京)
- 希望ヶ丘(神奈川)
- 甲府第一(山梨、進学実績で甲府南が優勢なので取り上げなかった)
- 新潟(新潟)
- 富山(富山、進学実績で富山中部上位なので取り上げず)
- 金沢泉丘(石川)
- 藤島(福井)
- 松本深志(長野、城下町を優先)
- 静岡(静岡)
- 旭丘(愛知)
- 津(三重、進学実績等を考慮して四日市を選んだ)
- 彦根東(滋賀)
- 洛北(京都)
- 北野(大阪)
- 姫路西(兵庫、城下町を優先)
- 郡山(奈良、進学実績や卒業生のユニークさ、有名な校舎等を考慮して畝傍を選んだ)
- 桐蔭(和歌山)
- 鳥取西(鳥取)
- 松江北(島根)
- 岡山朝日(岡山)
- 広島国泰寺(広島、進学実績などを考慮して広島中等教育学校を選んだ)
- 山口(山口)
- 高松(香川)
- 徳島城南(徳島)
- 松山東(愛媛)
- 高知追手前(高知)
- 修猷館(福岡)
- 佐賀西(佐賀)
- 長崎西(長崎)
- 済々黌(熊本)
- 大分上野丘(大分)
- 宮崎大宮(宮崎)
- 鶴丸(鹿児島)
- 首里(沖縄)