「従軍記者」朝日の“値千金のドキュメント”が描く「検察の孤立化」

郷原 信郎

東京地検特捜部が日産のカルロス・ゴーン会長を逮捕した事件については、

(1)突然の逮捕
(2)逮捕容疑は、実際に支払われた役員報酬ではなく、「退任後の支払の約束」に過ぎなかったこと
(3)再逮捕事実が、当初の逮捕事実と同じ虚偽記載の「直近3年分」だったこと
(4)再逮捕事実による勾留延長請求を、東京地裁が却下したこと
(5)延長請求却下の翌日に、特捜部がゴーン氏を特別背任で再逮捕したこと

という「衝撃」が繰り返されてきた。

私は、その都度、明らかになった衝撃の事実を解説する記事を書いてきた。

その私にとって、特別背任による再逮捕の翌日の朝日新聞朝刊2面に掲載された【(時時刻刻)特捜、特別背任に急転換 「虚偽記載は形式犯」批判に反発 ゴーン前会長再逮捕】という記事の内容は、この事件の展開や内容に関して、これまで繰り返されてきた「衝撃」に匹敵するほどの「驚き」だった。

日産サイト、Wikipedia、朝日サイトより(編集部:コラージュ)

朝日記事で明らかになった特別背任再逮捕に至る経緯

朝日の記事では、検察が特別背任による再逮捕に至った経緯について、次のように書かれている。

 「特別背任は、20日の地裁決定まではやらなくてもいいと思っていた。だが今はやるべきだと思っている」

ゴーン前会長に会社法違反(特別背任)容疑を適用した21日、検察幹部は言った。翻意の理由は、勾留延長を退けた「裁判所の仕打ち」だと説明した。

東京地検特捜部は6月ごろから捜査を開始。司法取引した日産幹部の聴取や資料分析を重ね、ゴーン前会長による「会社の私物化」の事件化を目指した。日産側が購入した海外の高級住宅の私的利用など、背任が疑われる話もあった。しかし、確実に立件できる「本丸」と判断したのは、2010~17年度の8年間で約91億円にのぼった「報酬隠し」だった。

適用したのは金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)だ。前半5年と後半3年に分けて逮捕し、20日間ずつ勾留する方針を立てた。最初の逮捕は11月19日。検察幹部は「事件として立つのはこれだけだ」と述べ、年内の捜査終結をにおわせていた。

だが、隠した報酬は退任後に支払う仕組みであり、前会長はまだ受領していないことが報じられると、「形式犯だ」「特別背任が実質犯なのに、できなかった」との批判が噴出した。

それでも検察幹部らは「ガバナンス(企業統治)が重視される時代の潮流に乗った新しい類型の犯罪。投資家や株主を欺く重罪だ」と意に介さなかった。

11月27日付朝刊で朝日新聞が「私的損失 日産に転嫁か」との見出しで、今回の特別背任の容疑の一部を報じた際も、検察幹部らは「推定無罪の原則は忘れないように」と話し、立件には消極的な姿勢だった。

潮目が変わったのは、報酬の虚偽記載の後半3年分で再逮捕した12月10日以降だった。国内外のメディアが「長期勾留」批判を繰り返す中、世論を意識した地裁が勾留延長を認めないのではないかという観測が、検察庁内に広まった。「特別背任」カードを切るための検討が具体化した。

地裁は勾留期限の20日、延長請求を却下。検察側の準抗告も棄却した。地裁は21日、5年分と3年分を「事業年度の連続する一連の事案」と判断したと説明した。地裁が棄却の理由を明らかにするのは異例だ。

地裁の判断は、後半3年の捜査について「簡単に終えられるでしょう」というメッセージのようだった。法律の素人ならともかく、同じ法律家の裁判官まで「報酬の虚偽記載は形式犯」という見方を示したと検察は受け取った。

このままではこの事件の価値が軽んじられる――。検察幹部は「そこまでいうなら、裁判所が『実質犯』と考える特別背任もやるということだ」と話した。

特別背任再逮捕に至る経緯についての私の「推測」

その記事が出る数時間前の21日夕刻、特別背任による再逮捕を受け、私は【ゴーン氏特別背任逮捕は、追い込まれた検察の「暴発」か】と題するブログを出した。

前日の勾留延長請求却下から、急転直下、再逮捕となり、なかなか頭の整理をするのも大変だったが、それまでの捜査の経緯を振り返り、その「衝撃的な事態」について、その時点で推測できることを書いた。

もし、特別背任が立件可能なのであれば、当初の逮捕事実で起訴した12月10日の時点で、特別背任で再逮捕したはずだ。ところが、再逮捕事実が、2018年3月期までの直近3年間の同じ虚偽記載の事実だった。また、20日の勾留期間が年末年始にかかる12月10日以降に新たな事実で再逮捕すれば、年末年始休暇返上で捜査を継続することになり、各地から集められている多くの応援検事を年末年始に戻さず留め置くことになる。これらのことから考えても、12月10日の時点で特別背任の刑事立件が可能と判断していたのであれば、その時点で、特別背任で再逮捕していたはずである。

このような捜査の経緯から考えても、12月10日の時点では、特別背任の容疑について、刑事立件が予定されていたとは思えないと指摘した。

そして、 直近3年間の虚偽記載という再逮捕事実で勾留延長を請求して却下され、準抗告まで行っていることからすると、再逮捕後の10日間の捜査によって、特別背任の立件が可能になったとも考えられない。特別背任での再逮捕は、勾留延長請求の却下を受けて急遽決定されたものと思われた。

朝日の記事は、20日の勾留延長却下決定までは、特別背任による再逮捕をする予定ではなかったが、却下決定という「裁判所の仕打ち」を、裁判所が「報酬の虚偽記載は形式犯」という見方を示したと受け止めて、急遽、再逮捕することにした、としている。それは、私の推測の根幹部分を「検察幹部の発言」によって裏付けるものだった。

一つの新聞の記事に過ぎないと言っても、羽田空港でのゴーン氏逮捕を映像付きで速報するなど、検察内部に深く食い込み、現場の動きをいち早くつかんで、まさに「従軍記者」さながらの取材報道をしてきた朝日新聞の記事だけに、信ぴょう性は高いと見るべきであろう。

最大の問題は、このような経緯で、検察が、特別背任による再逮捕を行ったことが正しかったのかどうかだ。

再逮捕容疑事実に対する“重大な疑問”

その後の報道によれば、その逮捕容疑の概要は、以下のようなもののようである

ゴーン氏は、10年前の2008年、リーマンショックの影響でみずからの資産管理会社が銀行と契約して行った金融派生商品への投資で18億5000万円の含み損を出したため、新生銀行から担保の追加を求められ、投資の権利を日産に移し損失を付け替えた。その付け替えが日産の取締役会の承認を経ておらず違法ではないかということが証券取引等監視委員会の新生銀行の検査の際に問題にされ、結局、この権利は、ゴーン氏の 資産管理会社に戻された。

その権利を戻す際に、サウジアラビア人の知人の会社が、担保不足を補うための信用保証に協力した。平成21年から24年にかけて、日産の子会社から1470万ドル(日本円でおよそ16億円)が送金された。

このうち、損失を付け替えたことが第1の特別背任、サウジの知人に送金したことが第2の特別背任だというのが検察の主張のようだ。しかし、報道によって明らかになった事実を総合すれば、二つの事実について特別背任罪で起訴しても、有罪判決を得ることは極めて困難だと考えられる。検察は、ここでも日産秘書室長との司法取引を使おうと考えているのかもしれないが、そうなると、「日本版司法取引」の制度自体の重大な問題が顕在化することになる。

第1については、新生銀行側が担保不足への対応を求めたのに対して、ゴーン氏側が、「日産への一時的な付け替え」で対応することを提案し、新生銀行がこれに応じたが、証券取引等監視委員会による銀行への検査で、新生銀行が違法の疑いを指摘されて、新生銀行側が日産に対して再度対応を求め、それが日産社内でも問題となり、結局、短期間で「付け替え」は解消され、日産側には損失は発生していないようだ。それを、「会社に財産上の損害を発生させた」特別背任罪ととらえるのは無理がある。

確かに、その時点で計算上損失となっている取引を日産に付け替えたのだとすれば、その時点だけを見れば、「損失」と言えなくもない。しかし、少なくとも、その取引の決済期限が来て、損益が確定するまでは、損失は「評価損」にとどまり、現実には発生しない。不正融資の背任事件の場合、融資した段階で「財産上の損失」があったとされるが、それは、その時点で資金の移動があるからであり「評価損」の問題とは異なる。

ゴーン氏側が、「計算上損失となった取引を、一時的に、日産名義で預かってもらっていただけで、決済期限までに円高が反転して損失は解消されなければ、自己名義に移すつもりだった」と弁解した場合、実際に、損失を発生させることなくゴーン氏側に契約上の権利が戻っている以上、「損害を発生させる認識」を立証することも困難だ。

第2については、サウジアラビア人の会社への支出は、当時CEOだったゴーン氏の裁量で支出できる「CEO(最高経営責任者)リザーブ(積立金)」から行われたもので、ゴーン氏は、その目的について、「投資に関する王族へのロビー活動や、現地の有力販売店との長期にわたるトラブル解決などで全般的に日産のために尽力してくれたことへの報酬だった」と供述しているとのことだ。

実際に、そのような「ロビー活動」や「トラブル解決」などが行われたのかどうかを、サウジアラビア人側の証言で明らかにしかなければ、その支出がゴーン氏の任務に反したものであることの立証は困難であり(「販促費」の名目で支出されていたということだが、ゴーン氏の裁量で支出できたのであれば、名目は問題にはならない)、そのサウジアラビア人の証言が得られる目途が立たない限り、特別背任は立件できないとの判断が常識的であろう。

検察は、サウジアラビア人の聴取を行える目途が経たないことから、特別背任の立件は困難と判断していたと考えられる。サウジアラビア人の証言に代えて、検察との司法取引に応じている秘書室長が、「支出の目的は、信用保証をしてくれたことの見返りであり、正当な支出ではなかった」と供述していることで、ゴーン氏の弁解を排斥できると判断して、特別背任での再逮捕に踏み切ったのかもしれない。

しかし、そこには、「司法取引供述の虚偽供述の疑い」という重大な問題がある。

この秘書室長は、ゴーン氏の「退任後の報酬の支払」に関する覚書の作成を行っており、今回の事件では、それが有価証券報告書の虚偽記載という犯罪に該当することを前提に、検察との司法取引に応じ、自らの刑事責任を減免してもらう見返りに検察捜査に全面的に供述している人間だ。そのような供述には、「共犯者の引き込み」の虚偽供述の疑いがある。そのため、信用性を慎重に判断し、十分な裏付けが得られた場合でなければ、証拠として使えないということは、法務省が、刑訴法改正の国会審議の場でも繰り返し強調してきたことだ。

「覚書」という客観証拠もあり、外形的事実にはほとんど争いがない「退任後の報酬の支払」に関する供述の方は、有価証券報告書への記載義務があるか否かとか、「重要な事項」に当たるのか否かなど法律上の問題があるだけで、供述の信用性には問題がない。しかし、秘書室長の「サウジアラビア人の会社への支出」の目的について供述は、それとは大きく異なる。ゴーン氏の説明と完全に相反しているので、供述の信用性が重大な問題となる。

その点に関して致命的なのは、この支払については、日産側は社内調査で全く把握しておらず、「退任後の報酬の支払」の覚書について供述した秘書室長が、この支出の問題については、社内調査に対して何一つ話していないことだ(上記朝日記事でも、「再逮捕は検察独自の捜査によるもので、社内調査が捜査に貢献するという思惑通りにはなっていない」としている。)。

秘書室長は、検察と司法取引する前提で、社内調査にも全面的に協力したはずであり、もし、このサウジアラビア人に対する支出が特別背任に当たる違法行為だと考えていたのであれば、なぜ社内調査に対してそれを言わなかったのか。「その点は隠したかった」というのも考えにくい。この支出が特別背任に当たり、秘書室長がその共犯の刑事責任を負う可能性があるとしても、既に7年の公訴時効が完成しており、刑事責任を問われる余地はないからである(ゴーン氏については海外渡航期間の関係で時効が停止していて、未完成だとしても、その時効停止の効果は、共犯者には及ばない)。

結局、秘書室長の供述の信用性には重大な問題があり、ゴーン氏の説明・弁解を覆して「サウジアラビア人への支出」が不当な目的であったと立証するのは極めて困難だと言わざるを得ない。

検察が従前、再逮捕についての消極的姿勢だったことには十分な合理性があったと考えられる。

朝日記事が持つ意味とその影響

結局のところ、今回の再逮捕容疑の特別背任は、起訴しても有罪に持ち込めるような事件だとは思えない。

そういう意味で、朝日記事の「特別背任は、20日の地裁決定まではやらなくてもいいと思っていた。」という検察幹部の言葉は、「やろうと思えばやれるがやらない」という意味ではなく、事件の内容・証拠関係から、特別背任で起訴すること、有罪判決を得ることは難しいと判断をしていたという意味であり、それは、合理的な判断だったと言える。

ところが、朝日記事によると、検察組織として、一旦は、特別背任は立件しないという方針を固めていたのに、裁判所の勾留延長却下決定を「仕打ち」と受け止め、急遽、再逮捕する方針に変わったというのである。

しかも、そのような方針転換をした理由についての検察幹部の言葉が「新聞の活字」として露わになった。

日本の刑事司法においては、検察が「正義」を独占し、裁判所は、極端に検察寄りだったことは事実であり、特に、特捜事件については、裁判所が検察の主張を否定することはほとんどなかった。しかし、「裁判所は検察の言いなりになっていれば良い」というようなことを検察幹部が新聞記者にあからさまに言ってのけるというのは、検察の驕りを端的に表している。朝日記事は、そのような「検察の傲慢」を、そのまま活字に表現したのだ。

裁判所が、今回、特捜事件では異例の勾留延長請求却下に加えて、検察の準抗告棄却決定の理由を公表するという異例の措置をとったことからも、裁判所特捜事件に対する姿勢は従来とは異なったものになりつつある。

朝日記事は、検察が、裁判所の適切な判断に対して不当に「反発」して、無理筋の特別背任による再逮捕という「暴挙」に至ったことを明らかにした。それは、検察が、従来、「『検察の正義』を追認するだけの存在」として見下していた裁判所から厳しいチェックを受けること、これまで「従軍記者」と考えていた司法メディアからも冷ややかな目で見られることで、「孤立化」の様相を深めつつある状況をリアルに描いたものとも言えるのである。

そういう意味で、今回の朝日記事は、日産・ゴーン氏事件の今後の展開のみならず、検察が「正義」を独占してきた日本の刑事司法の構造自体を変えていくことに対しても影響を与える「値千金のドキュメント」と言えるだろう。このような記事を書くことが可能となったのは、朝日新聞が、ゴーン氏逮捕以来、まさに「従軍記者」のように、捜査の現場や検察幹部に「密着」して取材をしてきたこと、それによって、検察側から「本音」を聞き出せる立場にあったからである。

このようなメディアと検察との「距離の近さ」は、これまで多くの事件で、検察捜査が無批判に報道され、その権力の暴走を許す原因ともなってきた。しかし、今回は、それが、検察捜査の経過と内部での方針決定の内幕をリアルに描くことで、検察の暴走に歯止めをかける方向に作用するかもしれない。


編集部より:このブログは「郷原信郎が斬る」2018年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、こちらをご覧ください。