昨日、平成最後の天皇誕生日にあたって、宮中に参内し、今上陛下のお言葉を直接伺うことができました。国民の幸せと国家の安寧を祈り続けるお姿に、こみ上げるものを禁じ得ませんでした。
また、誕生日にあたって行われた記者会見では、象徴としての自分を受け入れ支えてくれた国民への感謝や、皇后陛下への労いのお気持ちを述べられました。愛情溢れる、お人柄が現れたお言葉です。
そして、災害などで苦しんでいる国民、そして、弱き者へ寄り添おうとされる姿勢が随所に見られたことも印象的でした。その中でも、次のような言葉を述べられ、沖縄へ寄り添う不変の気持ちを示されたことは、特に心に残りました。
「昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。」
ただ、陛下の沖縄への並々ならぬ思いは、戦時中そして戦後に沖縄が日本のためにその辛苦を一身に背負わせされたことへの贖罪の気持ちだけではなく、「先の大戦を含め」と述べられているように、陛下のお気持ちは、それよりもっと長い時間軸の上、慶長14(1609)年の薩摩藩による「琉球征伐」にまで遡るのものだと思われます。
平成15(2003)年のお誕生日の会見では、次のような発言をされています。
「私にとっては沖縄の歴史をひもとくということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし,それであればこそ沖縄への理解を深め,沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」
長い歴史を鑑としながら、沖縄の人々の気持ちを理解しようと努める姿勢には、本当に心を打たれます。
先日、ある方と話しをしていたら、陛下は「忠恕」の精神をもって全国を回られていると聞かされました。実際、昭和58(1983)年の「50歳の誕生日会見」のお言葉で、
「好きな言葉に『忠恕』があります。論語の一節に『夫子の道は忠恕のみ』とあります。自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる精神です。この精神は一人一人にとって非常に大切であり、さらに日本国にとっても忠恕の生き方が大切ではないかと感じています」
と語っておられます。
陛下は、まさに、「自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる」ことを続けながら、象徴天皇としての務めを果たしてこられたのだと思います。そして、皇太子殿下が、ご自身の誕生日の会見で、今上陛下のこの言葉を引用されたことは、来年から始まる新しい御世にあたっても、この「忠恕の精神」は引き継がれていかれると確信いたしました。
また、陛下のおっしゃるとおり、「この精神は一人一人にとって非常に大切であり、さらに日本国にとっても忠恕の生き方が大切」だと感じます。私自身、天皇陛下として最後の誕生日に臨み、改めて、自身の生き方を省みる大切な機会をいただいたものと感謝しております。
今回の天皇誕生日には、過去最高の8万人を超える国民が一般参賀に集まりました。そのため皇居周りの道路では大渋滞が発生し、宮中でのお祝いの会のスタートを20分遅らせる異例の事態になったくらいです。
これほど多くの国民がお祝いに集まったのも、天皇皇后両陛下の「忠恕の精神」が、国民に伝わっているからではないでしょうか。
国民から広く愛された今上陛下のご健康と、皇室の弥栄(いやさか)を改めてお祈り申し上げます。
編集部より:この記事は、国民民主党代表、衆議院議員・玉木雄一郎氏(香川2区)の公式ブログ 2018年12月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はたまき雄一郎ブログをご覧ください。