「いま、日本を考える2019」(BS朝日1月2日)での田原総一朗、三浦瑠麗、井上達夫、堀潤などとの議論については、すでにいちど紹介したが、その続編だ。
そこでの議論で反安倍路線の人達が追及した論旨のひとつが審議時間の短さだ。それに対して私が反論したのは、日本では首相をはじめ閣僚を国会に縛り付けている時間が非常識に長い。そうしたなかで、議論が足りないというのは、野党側の質問時間の使い方の問題にすぎないのではないかということだ。
総理にさまざまな問題を質問する時間はいくらでもあった。ところが、野党はモリカケのような問題での堂々巡りの議論に延々と時間を使った。それを移民問題などがもっと大事な問題だと思うなら使えばよかったのである。
もちろん、審議拒否ということでサボタージュした責任もある。また、答弁する可能性もほとんどない閣僚を不必要に張り付けておくのもやめたらよい。そういうことをしていけば、重要問題にいくらでも時間を使えた。
それから、すでに書いたことがあるが、水道法のような、民主党政権下で路線が引かれていた問題について、それを忘れたような議論はおかしい。今回の改正より大胆な改正をすでに民主党政権下で議論していた場合には、立憲民主党や国民党はその誤りを認め懺悔でもしない限りは、政府は、議論されつくした問題とひとことえいえば十分だ。
移民問題について、私は田原さんに、「移民が必要かどうかは、30年前の朝まで生テレビでも石川好氏らと散々に議論して、必要だということでコンセンサスに達したではないか。そのあと、(民主党政権も含めて)ちゃんと対応してこず、いよいよ人手不足が酷いので応急措置というだけではないか。後戻りできないものでもあるまいし、本当にこれが最良かはともかく、別に害になるものでもない」と申し上げた。
また、十分に議論してからというが、最善のものは何かを延々と議論してから出ないとだめというようなこといっているから、いつまでたっても改革が進まないのだと思う。
私は別に安倍政権の好きなように日本をすればいいといっているのではない。野党が政権をとったら、また、かえればいいのに政権をとる気も自信もないから邪魔することしかいえないのだ。問題提起はしっかりしておいて、弊害が出れば政権に戻ったときに元に戻すのも説得力が出るということでいいではないか。
やったら取り返しがつかない問題と元に戻せることを同じレベルで論じない方がよい。