新たな年を迎えました。年男になった本年は期するところがあります。
昨年、最重要テーマとして取り組んできた児童虐待防止について年末に「WEBRONZA」に寄稿した文章をアメブロにて公開いたします。今年もこの問題にしっかり取り組む決意です。
無所属の時間を生きる
無所属となって半年が経った。城山三郎氏は、『無所属の時間を生きる』という随筆の中で、「無所属の時間というのは、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間ということではないだろうか」と記している。到底、その境地には達していないが、全ての採決を自らの責任で行う中で、政治家としての理念・政策を再確認することができた貴重な時間ではあった。
① 内政は弱い者の立場に立つ
② 外国人やLGBTを含め、多様性(ダイバーシティ)を大切にする
③ 外交安保は現実主義に立つ
私が大切にしてきた政治理念だ。一昨年、この理念を実現するために、安保法制違憲論に舵を切った民進党を離れ、希望の党を立ち上げた。現実的な二大政党の実現を目指してチャレンジしたことに悔いはない。希望の党の解党は無念ではあったが、国民が野党第一党として立憲民主党を選んだ以上、やむを得ない。
無所属議員には、国会の本会議や委員会での発言機会はほとんど与えられない。しかし、国会に議席を得ている以上、無為な時間を過ごすことは許されない。私は、テーマを絞り込み、超党派の議員連盟などを通じて政策の実現を図る方法を取った。党の会議は皆無、支援団体の会合に呼ばれる機会も減った。その時間を「弱き者」のために役立たせたいと考えた。
児童虐待を親として捉え直す
虐待を受けていた5歳の女の子が、「おねがいゆるして――」と書き残して、亡くなるという痛ましい事件が起きた。結愛ちゃんのノートの存在が明らかになった昨年6月と比較すると報道は激減したが、熱心な議員が集まり対応を議論してきた。
取り組みを続ける中で、コーポレート・ペアレンツ(社会的共同親)という概念を知った。京都府立大学の津崎哲雄教授によると、『家庭生活をはく奪された子らに国家・社会が提供すべき支援は、実親が子に行う親業と同等でなければならず、それを自治体が責任を持って提供する』というものだ。
実践されている英国では、地方議員が選挙民子弟の社会的養育状況、委託児名・委託先などを把握しておらねばならず、随時委託先を訪問し最善の利益が確保されているかどうか掌握するよう求められているとのこと。徹底している。
目を開かれる思いがした。私が児童養護施設、虐待、子どもの貧困などに取り組むようになったのは、超低体重のため生後10日で命を落とした娘のことがあったからだ。票と資金がものをいう政治の世界にあって、こうした問題に取り組む議員は多くない。結愛ちゃんのようなケースがあると世論は沸騰するが、長続きしない。私自身には明確な動機があり、継続して取り組んできたが、「コーポレート・ペアレンツ」、すなわち、子どもたちの親と同等の気持ちで関わってきたかと問われれば、そうではなかった。今度こそ、結愛ちゃんの犠牲を絶対に無駄にすることはできない。
児童相談所をもっと身近に
政府は、社会保障審議会の社会的養育専門委員会「市町村・都道府県における子ども家庭相談支援体制の強化等に向けたワーキンググループ」を立ち上げ、児童相談所改革や自治体の体制などについて昨年末取りまとめた。議連では、頻繁に厚生労働省と意見交換を重ねてきた。
最優先課題は、虐待にあった子どもの最初の窓口となる児童相談所の増強だ。児相が開いているのはウィークデーのみで、土日や夜間は窓口が閉ざされている。児童相談所にたどり着いたとしても、一人の児童福祉司が抱える子どもの数は平均50人ほど、多いところでは100人近くになる。とても親代わりができる体制ではない。
まずは、児相をできる限り身近なところに設置することを考えるべきだ。南青山の児相の設置について、反対する声があることに危機感を持つ。欧米では、社会的な成功者が里親をしているケースが少なくない。反対は一部の声であって、日本のセレブがそこまで堕ちたわけではないと信じたいが。
子育て支援を担当するのは市町村で、児相を持つのは都道府県と政令市という地方における縦割りを解消していくべきだ。住民と最も身近に接しているのは市町村なのだが、児相を持たないため、児童虐待については当事者意識がどうしても薄くなる。
明石市は、今年4月に児相を設置し、子育て部門と一体的な運用を開始する。他の中核市も続いて欲しいと思うが、残念ながら動きは鈍い。まずは、中核市への児相の設置の義務付けが必要だ。一般市については、政府のワーキンググループで、全市区町村に「子ども家庭総合支援拠点」を設置する方向性が示されたことは評価できる。ここが市町村の虐待に関する拠点にもなり、要保護児童対策地域協議会を通じて児相と一体となって対応する体制を早急に作る必要がある。
児童相談所の機能強化を
児相の現場の声を聞くと、個々の児童相談所の機能強化は待ったなしだと感じる。緊急通報への対応が続き、親との面談の際は、身の危険を感じることもあるという。児相で働く皆さんは頑張っておられる。しかし、「実親と同等の支援」ができているかと問われれば、答えはノーだ。複雑な事情を抱えた家庭と向き合い、虐待に合っている子どもを親から引き離し、里親や特別養子縁組を行うだけの時間的、精神的余裕は到底ない。
結愛ちゃんは、父親に虐待されている事実を訴え、「家に帰りたくない」と話していた。5歳の女の子が勇気を振り絞って自らの意思を伝えたにも関わらず、彼女は家庭に返され、その結果として命を奪われたのだ。
私は、児童相談所への弁護士の常駐は必須だと考えている。児相は、虐待などで子どもが危険な状態にあると判断した時、親が同意しなくても、児童福祉法28条に基づいて児相が裁判所に申し立てて認められれば、子どもを一時的に親元から引き離す「一時保護」ができる。しかし、親との関係を気にして、子どもを親から引き離すことを躊躇するケースも少なくない。私が会った児相の職員も、その判断が最も難しいと話していた。
数は少ないが、弁護士がケースワーカーとして常駐している児相がある。そうした児相では、日常的に法律家に相談できる体制ができている。必要な予算は国ですでに整備されており、期限付きの任用形式を取れば、常勤スタッフとして児相で働くことを希望する弁護士は全国にいる。しかし、ここでも地方の動きは鈍い。
同時に、児童福祉司の専門資格化も急がれる。現在の児童福祉司は、地方自治体による「任用資格」となっており、専門性のない都道府県の職員が、児相に配置されるケースもある。子どもの状況把握、親とのコミュニケーションなど、児相の職員に求められる能力は多岐にわたる。早急に国家資格化を実現すべきだ。
また、家庭との関係を重視して、子どもの保護を後回しにする傾向を改めるためには、児相の中で、「初期対応」と「支援」の機能を分ける必要がある。虐待への初期対応において最も優先されるべきは、当然にして子どもの安全だ。両者の連携は必要だとしても、トレードオフの関係になりえる両機能を同じ職員が担当するのは望ましくない。
これらの課題を解決するためには、児童福祉法などの抜本改正が必要だ。当然、予算も増やさねばならない。心ある議員と力を合わせて、できるだけ早く結果を出さなければならない。
幼稚園にも保育園にも通っていない子どもたち
潜在的な虐待にも目を向ける必要がある。結愛ちゃんが亡くなったのは5歳。彼女は幼稚園にも保育園にも通わせてもらえず、社会的にも家庭の中でも孤立していた。3歳までは、母子保健法で健診が義務付けられているため、自治体が子どもの状況を把握することができる。また、義務教育となる就学前には、自治体が子どもの状況を把握することができる。問題はその間の3年間だ。
3歳から5歳児の中で、幼稚園にも保育園にも通っていない子どもの数は約20万人。おそらく、ほとんどの方はその存在に気が付いていないのではないだろうか。実は、行政もこれまで、こうした子どもの実情を把握していなかったのだ。私の提案で、昨年7月に全国の自治体に通達がだされ、12月5日までに調査が実施された。政府の実態把握はこれからだ。
児童相談所がケースとして関与する3歳から5歳の子どもの中で、幼稚園にも保育園にも通っていない割合は2割から3割とのこと。これは相当に高い。20万人の中には、無認可保育所や病院にいる子どもも含まれるが、虐待が潜んでいる可能性が高い。幼稚園の先生や保育園の保育士と話すと、子どもが虐待されていれば、ほぼ分かるという。すべての子どもが幼稚園か保育園に通うことができれば、通報の迅速化や虐待の予防につながるだろう。
今の時代に、幼児期の教育の機会を与られていない子どもが20万人もいること自体、見過ごすことができないと思う。人生の出発点ぐらいは、平等が確保されて然るべきだ。幼稚園、保育園は実質的に無償になりつつある。これを機に、3歳を迎えた家庭については、市町村が幼稚園か保育園に通うことを強く促すべきだと私は考えている。
強すぎる親権について考える
虐待や児童養護施設を見ていく中で、問題の根本にあるのは「強すぎる親権」だと感じてきた。一般に、親権とは、未成年者に達しない子を監護、教育し、その財産を管理するため、その父母に与えられた身分上および財産上の権利・義務のことを言う。わが国では、親の「子に対する支配権」として親権を捉える向きがあるが、私は、親権は、子どもを保護し、その人権を守るためのものであり、その目的が達成されないのであれば、制限されるべきだと考えている。
親権の最たるものは、体罰を容認する懲戒権だろう。親権の規定の変更は、民法改正に関わる重たいテーマだ。当面は、児童福祉法改正などが優先されるとしても、並行して、親権規定の変更についても議論する必要がある。
現実の親権は強い。児童養護施設に入る際も、里親や特別養子縁組の家庭に入る場合も、家庭裁判所の勧告がある例外的なケース以外では、親権を持つ親の同意が必要だ。行先の決まらない子どもは一時保護所に入れられ、その間、学校に行くことすらできない。
児童相談所や児童養護施設では、「虐待されている子どもも、親と会いたがる」という話をよく耳にする。どんな親であっても、子どもにとっては特別な存在なのだ。子どもはそれ以外の選択肢があることを知らないのだ。
しかし、子どもは親の持ち物ではないはずだ。2016年、わが国の親権停止は、わずかに83件に過ぎない。ドイツでは毎年1万以上、英国では毎年5万以上の親の親権が停止され、ほとんどの子どもは、新しい親と共に生活している。
一昨年、策定された「新しい社会的養育ビジョン」では、里親委託率を3歳未満児は概ね5年以内に75%、それ以上の就学前は概ね7年以内に75%、学童期以降は概ね10年以内に50%という目標が明示された。現在、都道府県が計画を策定中だが、自治体によって温度差がある。英国は地方の責任とされているようだが、地方の現状を考えると、わが国ではもっと国が強く働きかけるべきだ。
親とは何か。家族とは血のつながりを言うのか。私は違うと思う。育てられない親、育てる資格のない親が現実にいる。そのようなケースでは、乳児を含めて子どもたちに、それ以外の選択肢を示すのが、社会の責任だと私は思う。
私が政治理念として掲げているダイバーシティに関わる問題がここにもある。
編集部より:この記事は、衆議院議員の細野豪志氏(静岡5区、無所属)のオフィシャルブログ 2019年1月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は細野豪志オフィシャルブログをご覧ください。