異論には敬意:借り着でも憲法は憲法

襤褸は着てても心は錦、などとは言わない。

まあ、継ぎ接ぎだらけだとか、借り着でしょうなどと言われてしまうところがあることはその通りだが、しかし、私は自分の国の最高法規範である憲法を自らみっともない、などとは言わない。

首相官邸サイトより:編集部

日本の自主性が損なわれている、という指摘は確かに当て嵌まるところがあり、対米従属を覆い隠しているところがある、と言われれば、これまたそのとおり、と言わざるを得ないことも確かだ。

まあ、みっともないかどうか、というのはそれぞれの人の審美観に負うところが多いから、私はみっともない、などというあえて日本の憲法を貶めるような表現を使わないだけである。

私から言わせれば、日本の憲法は基本的に借りてきた憲法。
もともとは借りてきたものだが、使い勝手がそれなりによかったから、あえてこれまでは変えて来なかった、というところがある。

いつかは憲法を変える時が来るだろうと思って、1999年に「時代に合った新しい憲法を創る」という本を出したのだが、既にあれから20年になる。

私が考えていたのは、まさに現在の国民が自分たちの力で時代に合った新しい憲法を創るとしたらどういう憲法がいいだろうか、ということだった。
現在安倍総理が進めようとしている改憲4項目程度ではなく、もっと根本的な憲法改正で、どちらかと言うと創憲という考えに近い。

憲法の文言は時代に合わせて適宜修文すべきだが、しかし現行憲法の基本原則は変えたくない、というのが私の基本的な発想だった。
日本の現在の憲法に敬意を払いながら、しかし現在の憲法の不具合の部分をどうしても直したい、という思いは今でも変わらない。

現在の憲法がみっともないから、変えよう、という発想に立っていないから、日本の憲法を「みっともない」「みっともない」と悪し様に言い募る人にちょっとだけ苦言を呈しているだけである。

しかし、私のそうしたちょっとした苦言に反論される方が現れたことは、実に素晴らしいことだ。

早川氏に再反論:日本国憲法は「みっともない憲法」である — 高山 貴男

まずは、憲法に対する国民的議論をどんどんやることである。
憲法改正の議論を国会議員や一分の憲法学者、一部の国際法学者にだけ任せていてはいけない。
むしろ、国民の間から憲法改正論議が湧き起こることが望ましい。

あえて私の議論に異論を唱えてくださった方が現れたことに、心から敬意を表したい。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年1月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。