都市の盛衰は企業経営と同じく、各種の“業績指標”で測れる。失業率、生活保護率、犯罪発生率、学力などの指標の変化を過去と比べ、他都市と比べて分析すると優劣は一目瞭然だ。日本で勢いのある都市と言えば、おそらく福岡、京都、横浜である。だが、今、最も注目すべきは大阪である。大阪は長年、衰退の一途をたどり、各種指標が軒並みワーストランキングの上位にあった。しかし最新の指標をチェックすると、ついに底入れし、すべてが大きく好転しつつあると分かった。
大阪の復活の背景に何があるのだろう。好景気やインバウンドの復活にも助けられたが、官民を挙げての努力の成果が大きい。
大阪府と大阪市は先月20日、「副首都推進本部会議」を開催し、橋下知事就任(2008年2月)後の約10年間の改革の成果を点検した結果を公表した(「改革評価プロジェクト」)。これを手掛かりに都市「大阪」の再生の実態を見ていきたい。
“大阪問題”の悪循環から脱却
大阪は長らく三重苦(“大阪問題”という)に悩んできた。すなわち、大企業本社の首都圏への流出、一人当たり所得の減少、さらにこれらに由来する税収減と財政赤字の拡大である。企業の業績が悪化すると住民の雇用と所得も悪化する。すると税収も減り、一方で生活保護費など社会福祉の出費が増大する。それでますます財政が窮乏化する。それでインフラ投資が遅れ、企業誘致などでも不利に働く。
筆者は大阪府市の特別顧問である。今回の「改革評価プロジェクト」のアドバイザーを務めたが、2014年にも府市統合本部の「改革評価プロジェクト」を担当、統括した。その際には大阪の三重苦問題が如実に浮き彫りになった。府市ともに行政改革など各種改革には着手していた。だが、経済指標や社会指標のレベルではまだ成果が十分には確認できなかった。それから4年を経て、今回改めて評価したところ、状況は大きく好転していた。“大阪問題”の三重苦は底を打ち、悪循環を脱しつつあるとわかった。
経済指標と社会指標の変化
大都市・大阪の活力はおもに企業活動に依存する。有力企業が地元にとどまり、利益を上げていることが先決だ。それが雇用と所得の底上げ、ひいては生活保護、犯罪、学力など社会指標の改善につながる。4年前の大阪はひどかった。失業と生活保護が全国でも有数に多く、それが離婚、犯罪、自殺等に直結し、“貧すれば鈍する”状態にあった。
今回、調べてみると企業収益、雇用、年収、健康、学力、犯罪などほとんどの指標が好転していた。例えば景気動向指数は09年から全国平均を大きく上回る形で次第に好転し、18年8月には130.9と全国(102.7)を28.2も上回った。有効求人倍率も13年に1.0を超え、2017年以降は全国平均を上回る。新規開業率も高く、2016年以降は東京、愛知や全国平均を大幅に上回る。オフィスの空室率は底値から76%も下がり、直近では2.96%である。
3大都市の地価上昇率では大阪市は4年連続1位を記録し、17年には全国の上昇率の上位から5位までを大阪市が独占した。大阪市への人口流入も続いており、2017年、大阪市は政令指定都市の中で最も人口流入が多かった。とめどなく増え続けていた生活保護の対象者も2012年をピークに減り始め、全国平均との差が縮まり始めた。平均寿命と健康寿命も大阪は全国でも最下位に近かったが、それぞれ伸び、全国平均との差が縮まり始めた。小中学生の学力テスト(数学・国語)の結果も好転し始めた。犯罪も08年の約半分に減った。そして大阪府と大阪市の財政状況も依然、苦しいものの大幅に改善した。
4年前よりも成果が明確に
こうした大阪の好転は、やはり「大阪維新」(08年2月の橋下知事就任から今日までの一連の動き)に由来するといえるだろう。大阪府と大阪市の政治はこの10年間、おおむね地域政党「大阪維新の会」が主導してきた。同会が進めてきた改革は、たとえば府議会の定数を2割削減するなど大胆なものが多い。改革の対象もいわゆる行政改革にとどまらない。
教育や子育て支援策など国の政策改革を先取りした見直しや、長年滞っていたインフラ投資(鉄道新線建設や延伸)の再開など膨大な範囲とボリュームにのぼる。今回の改革評価の作業も府市の事務方と筆者が共同して行ったが、ほぼ半年以上かかるほど広範かつ全国初の斬新なものが多かった。
前回の14年の改革評価プロジェクトでは「補助金や人件費の抑制など役所の改革、いわゆる行政改革は結構進んだ。しかし役所の外の大阪の街はまだまだ大変な状態」という総括がされた。だが、その後は2015年の再度のダブル選挙(橋下市長が退任し、吉村市長と松井知事の体制が誕生)以降、府市が一緒になって様々な都市の経営課題に取り組んできた。今回18年の改革評価ではその成果が数字で確認できた。
改革は10年で3段階に進化
この10年間の経過を見ると、首長選挙ごとに改革のレベルが進化した。最初の「改革I期(08~11年)」は橋下知事の誕生に始まり、まずは大阪府庁が自らのあり方を正すこと、すなわち役所の仕事のやり方の改革と財政再建に取り組んだ。ただし、大阪の活力の要となる関西空港の再生と教育改革の2つには早くから着目し、国も巻き込んだ制度改革案や関空伊丹の経営統合を導いた。
やがて橋下知事は大阪の都市問題は府庁だけでは解けない、道州制の前段階として大阪市と大阪府の統合が必要という考えから都構想を掲げる(10年)。そして地域政党「大阪維新の会」をベースに大阪にも都区制度が導入できるよう国に働きかける。おりしも大阪府と大阪市との水道事業の統合協議が決裂していた。そして11年秋のダブル選挙では松井知事と橋下市長のツートップ体制が実現し、「改革第II期(11~15年)」に入る。松井知事と橋下市長がツインエンジンになり、府と市の足並みをそろえ、カジノを含む統合型リゾート(IR)の推進や産業政策などが動き出した。同時に大阪市の地下鉄、府と市の水道、下水、大学などの経営形態の見直しが始まった。
それが「第III期(15年~18年)」に形となった。例えば地下鉄は18年4月に民営化され、上下水道のコンセッション(運営権の民間委託)や府市の大学統合も決まった。つまり「第III期」の橋下市長と松井知事の時代に設計された民営化改革や統合の案件が、長い政治的折衝を経てついに吉村市長の時代に入って実現した。
このようなツートップを中心とする大阪府市の一体感は、対外的にもプラスに作用し、国際博覧会(万博)や20カ国・地域(G20)首脳会議の誘致、そして今後のIR誘致にもつながりつつある。
ちなみに、万博やIRで注目したいのは、目先の経済効果よりも大阪の経済を国際経済と直結させる契機としての意義である。大都市大阪の命運はグローバル経済といかにつながるか、にかかっている。G20、万博、IRの3つをホップ・ステップ・ジャンプとして、そして関西空港をテコに海外の経済成長と大阪のまちをつないでいく。そういう意味の戦略展開の準備が整いつつあるといえよう。
今後の課題はグローバル経済との連携体制づくり
しかし、いい循環の定着は簡単でない。次の「改革第IV期(2018年~)」では特に海外からの民間投資の呼び込みが重要となる。世界の経済は“石油と電気”の時代から“シリコンとデータ”の時代に転換しつつある。これにつながる企業と高度人材を内外から呼び込んでくる。そういう高度人材が魅力的に思うまちづくり、そして地元の人材の育成をする。「改革第III期」はインバウンドの観光客に支えられ、大阪の経済は活性化した。しかし「改革第IV期」では海外の先端企業が大阪に投資し、一緒にビジネスをする流れをつくっていく必要がある。さもなければ、各種指標をさらに好転させるのは難しい。
ツートップを一元化する制度改革が必須
この10年は「大阪維新の会」を旗印に、首長2人が同じ方向を向き、大阪市役所と府庁が一緒に動けた。しかしこれはたまたま両首長が同一会派から出ており、そして両者の関係が良好だったからだ。今後、もし政治信条が異なる知事と市長になると、たちまち崩壊する。ツートップの連携体制を制度として定着させるにはやはり府と市の統合、つまり「大阪都」構想の実現が必要となろう。
府民生活の充実と市町村との水平連携
さらに「改革第IV期」で取り組むべき課題は、大阪府と大阪市がその他の市町村と連携し、あるいはテコ入れし、大阪全体を底支えしていく仕組みづくりである。例えば救急、消防、水道は東京では東京都の下にほぼ一元化できており、スケールメリットが出ている。しかし、大阪では市町村ごとにばらばらで効率が悪い。
大阪府庁と大阪市役所はこの10年でかなり変わってきた。しかし周辺の市町村の中には昔のままで遅れたところもある。これらは府がリーダーシップを発揮し、大阪市の優れた実務家部隊の助けを借りて府市が一緒に引っ張っていく。そういう意味では「改革第III期」までの府市連携に加え、「改革第IV期」では、市町村間の水平連携に視野を広げていくべきだろう。それが経済の活性化の恩恵を広く住民生活に行き渡らせていく(トリクルダウン)うえでも大切になってくるだろう。
編集部より:このブログは慶應義塾大学総合政策学部教授、上山信一氏(大阪府市特別顧問、愛知県政策顧問)のブログ、2019年1月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、上山氏のブログ「見えないものを見よう」をご覧ください。