アルプスの小国オーストリアはフランス、スペイン、ポルトガル、イタリアなどと共に欧州の代表的カトリック教国だ。そのオーストリアのカトリック教会の信者総数は昨年12月31日現在、約505万人で前年の511万人より約1・1%減少した。今年中には500万人台を割ることは必至の状況だ。
同国の人口は2017年現在約880万人だから、500万人台割れがどのような意味を持っているか、社会学者や人口学者は知っているだろう。オーストリアがカトリック教国のステイタスから転げ落ちるシナリオがいっそう現実味を帯びてきているのだ。
オーストリア司教会議が9日、公表した教会統計によると、教会脱会者数は昨年5万8378人で前年比で8・7%増加した。一方、聖職者数の動向でも厳しい。2017年の統計だが、神父数は3857人で、16年の3980人より微減。同じように修道僧は16年の1970人から17年は1920人、修道女は3715人から17年は3600人とそれぞれ微減した。
この教会統計の現象が今後も続けば、カトリック信者数が同国全人口の過半数を割るのはもはや時間の問題だ。参考までに、同国では2009年、カトリック信者数は約553万人で、まだ人口の約66%を占めていた。当方が1980年にオーストリアに初めて足を踏み入れた時、同国は文字通りカトリック教国だっが、年々、その割合は減少してきた。自分はカトリック教国のオーストリアに住み始め、半世紀後、イスラム教国となったオーストリアを後にして日本に帰国するのかもしれない、と冗談半分で考えだしている。
歴史から見たら、半世紀は短い。アルプスの小国に何が起きたのか。明らかな点は、①社会の世俗化と共に、カトリック教会が聖職者の未成年者への性的虐待問題などで国民の信頼を失ったこと、②北アフリカ・中東からイスラム教徒の難民・移民が殺到したこと、③カトリック教徒の家庭では少子化が急速に進行する一方、イスラムの家庭の出産率は不変で、一家庭で3人、4人の子供がいること、等の原因が考えられる。
それでは順番にもう少し見ていく。
①同国教会最大のスキャンダルといわれるグロア枢機卿の教え子への性的虐待事件後、教会から背を向ける信者が増え続けてきた。グロア枢機卿は当時、同国教会最高指導者だった。その枢機卿の性犯罪が1995年、発覚し、致命的なダメージを教会に与えた。その翌年の教会脱会者数は9万人に迫ったほどだ。その後も脱会者は絶えず、グロア枢機卿の不祥事によるダメージは今日まで癒されずにきた。
そして昨年7月、新たな聖職者の不祥事が報じられた。グルク・クラーゲンフルト教区担当のアロイス・シュヴァルツ司教はその贅沢な生活と女性問題が発覚し、バチカンから教区の司教職を解任され、現在はニーダーエスターライヒ州の州都サンクト・ペルテン教区の司教に人事されたばかりだ。教会聖職者の不祥事は絶えない。
②2015年秋、シリアやアフガニスタンから100万人以上の難民・移民が欧州に殺到。ドイツへの通過点だったオーストリアでもその年、10万人近くのイスラム系難民が難民申請し、同国に留まった。
オーストリアの難民統合をまとめた「2018年統合報告書」によると、同国では移民出身の国民はほぼ200万人で全体に占める割合は23%。10年前の08年は16%だった。一方、外国人数は139万5000人で外国人率は15・8%(08年10%)とこれまた大幅に増加した。
ちなみに、オーストリアは歴史的に北上するイスラム教を阻止する欧州のキリスト教社会の砦だった。オスマン・トルコが北上した時もそれを防いだのはウィーンだった。そのオーストリアが現在、カトリック教国のステイタスを失おうとしている。一方、イスラム教徒が殺到し、年々その数を増やしてきた。仏人気作家ミシェル・ウエルベック氏の話題作「服従」の話を思い出す。「服従」では、フランスでイスラム教徒の大統領が誕生するというストーリーだ。オーストリアがフランスに先駆けてイスラム教国になるかもしれない。
③オーストリア人女性の合計特別出生率は2016年は1・49前後と少し持ち直したが、人口維持のためには最低2・0が必要だが、その値からは程遠い。同国の雇用市場では深刻な労働者不足が表面化してきた。女性の婚姻年齢も年々、高齢化している。オーストリアでも「子供は宝物」と言われた時代は過ぎ、子供は財政的に負担であり、家庭維持が難しくなる主因と受け取られてきている。
難民・移民政策では欧州の中でも厳格な対応をとってきたクルツ政権だが、ここにきて高等教育、特殊能力を有する難民・移民に対しては雇用・滞在が容易になる対策をとってきている(外国人人口を含むと、オーストリアの人口は増加傾向にある)
歴史が緩やかなテンポで進む時と急テンポで前進する時がある。当方が経験している1980年代から2010年代にかけての期間、歴史はテンポを速め、急速度で動き出してきているのを感じる。欧州に限っていえば、冷戦時代を経て、旧ソ連・東欧共産圏は崩壊し、欧州の統合が進む一方、イスラム教の北上に直面し、欧州社会はその対応に苦慮しているのだ。この期間、半世紀にもならない。
「歴史の証人」といえばカッコいいが、歴史の激流に対峙し、その対応に苦戦する欧州を当方は目撃していることになる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年1月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。